まぁ呆れ返ってモノが言えない、という感じですが、言うべきことはキチンと言っておきましょう。
東電への債権、金融機関に放棄を期待…枝野長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110513-00000718-yom-pol
”枝野官房長官は13日午前の記者会見で、同日決定した東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償の枠組みに関連し、事故発生前の東電の借入金について、金融機関が一部債権放棄することに期待感を示した。
同時に、東電への公的資金注入は、金融機関の一部債権放棄が前提となるとの認識を示した。枝野氏は「一切債権放棄がなされなくても公的資金投入に国民の理解は得られると考えるか」との質問に、「3月11日以前の融資については、お尋ねのような(ことで)、国民の理解が得られるかと言えば到底得られないと思う」と述べた。
その上で、「東電が(債権放棄の)協力を仰ぎ、金融機関が応じるかという問題だ。そうした努力の成果を踏まえて、今回決めたやり方を前に進めるのか、違ったことを取らざるを得ないのか判断する」と述べ、金融機関の一部債権放棄などがなければ賠償枠組みの見直しもあり得るとの考えを示唆した。”
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それ自体が迷走した、原発事故に関する賠償スキームですが、ことさら事態を複雑化させたのは他ならぬ民主党政権です。
賠償が一義的には東電の問題、としたこと自体がそもそもの発端ですが、国費投入(税金投入)に対する国民・有権者の反発を恐れるあまり、本来、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)の本旨を全く無視することとなりました。
▽原賠法 第3条第1項
”原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。”
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もちろん、今回の福島原発の事故が、100%純粋に天災によるもの、と言えるか、東電側の過失は無かったのか?というのは検証されるべき問題です。しかし、過失があったとしても、100%東電側の問題とすることは出来ず、法的にも国側のガイドラインその他の整備不十分なところはあった訳ですから、国側の賠償責任を全く否定することは出来ません。
この辺りの考えをしっかり、キッチリ詰めることなく、一足飛びに貸し手側金融機関への債権放棄圧力を強めることは、資本主義経済自体の否定に他なりません。
債権放棄、と簡単にいいますが、法的整理・破たん処理を除けば、私的整理ガイドラインというものが存在し、そう容易なものではないことは、この20年バブル崩壊処理の過程で多くの実例が示す通りです。民主党政権はそうした実例を全く学んでいない。
仮に、枝野会見が正当なものであるとするならば、それは正しく、東電の国による倒産宣言に他なりません。市場が大混乱するのは当たり前。
この一言だけで、枝野氏は議員辞職にあたいする、と言うべきでしょう。