いろんなところで書いていますが、日本の国民を主権者としての地位に高めるために最初になすべきことは国家が施す教育制度を廃止することです。
教育というのはすべからく洗脳行為となります。何かの思惑が刷り込まれる。
今、国家が施している学校教育は、この惨たらしい競争社会を保つ理念を植え付けることになる。
競争といえば聞こえはいいが、実際のところ戦闘員を要請することになります。それは、日本の学校教育が最初に作られたときの目的であり、日本が国力を増強し諸外国と戦うために国民を教育したからに他なりません。
本当は、敗戦でその目的は終了したので、教育制度を続ける必要はなかったのでしょうが、国家というモノを維持する根幹に関わる教育は大事だと考えて続けたのでしょう。
しかし、結局、経済戦争という新たなる戦いの為に戦闘員を育むこととなり、結果的にそれが功を奏して、奇跡的な経済復興を成し遂げたわけです。そして、豊かさこそが全てとなり、国民を豊かにするという名目に変わることになる。
日本国民として最も重要な主権者教育をせずに進むことで、国民は働く奴隷となってしまうわけです。そして、今や我々を支配しているのは国家ではなく、経済論理となるわけです。
本来、経済とは経世在民という言葉から始まったように、民を救うためのものでありますが、今では民を苦しめるためのモノとなっている。それは、きっと教育によって経済活動において報酬を得ることで豊になると言って勉強させたからに他ならない。
そうやって煽られることで、人々は常軌を逸してしまった。人々を救うどころか自分が生きていく為には経済世界で勝つしかないという愚かな発想を持ってしまったことにある。
我々が生きていく為に必要なことは経済活動をやることではない。むしろ、政治的活動によって主権を使って生きていくべきなのである。働くことは大事であるが、働かないと生きていけない世界は間違っている。
これは経済社会のルールが、人間社会のルールより優先されることから起こる悲劇であり、従って、経済社会のルールは経済活動のみに限定する必要があることを意味している。
そのためには、国家が教育を牛耳っていては、その活動は出来ない。人間よりお金が優先される世の中は間違っている。我々人間社会で最も優先されるべきものは、人間であるという当たり前のことを教えなくてはいけない。
そのためにも、学校教育を国民の手に取り戻し、その運営資金を使って多くの寺子屋を復元し、人間が最も大事であることを人間である国民が身をもってこどもたちに教えなくてはならないのである。
我々は働くロボットではないし、国家の奴隷でもない。主権者として国家を動かし、幸せを掴む人間である。当然、お金は全てではないし、お金は我々の奴隷であるべきである。従って、我々は無限の資源であるお金を使って自由を手にし、悔いのない人生を生きる権限を有していることを忘れてはいけない。
教育というのはすべからく洗脳行為となります。何かの思惑が刷り込まれる。
今、国家が施している学校教育は、この惨たらしい競争社会を保つ理念を植え付けることになる。
競争といえば聞こえはいいが、実際のところ戦闘員を要請することになります。それは、日本の学校教育が最初に作られたときの目的であり、日本が国力を増強し諸外国と戦うために国民を教育したからに他なりません。
本当は、敗戦でその目的は終了したので、教育制度を続ける必要はなかったのでしょうが、国家というモノを維持する根幹に関わる教育は大事だと考えて続けたのでしょう。
しかし、結局、経済戦争という新たなる戦いの為に戦闘員を育むこととなり、結果的にそれが功を奏して、奇跡的な経済復興を成し遂げたわけです。そして、豊かさこそが全てとなり、国民を豊かにするという名目に変わることになる。
日本国民として最も重要な主権者教育をせずに進むことで、国民は働く奴隷となってしまうわけです。そして、今や我々を支配しているのは国家ではなく、経済論理となるわけです。
本来、経済とは経世在民という言葉から始まったように、民を救うためのものでありますが、今では民を苦しめるためのモノとなっている。それは、きっと教育によって経済活動において報酬を得ることで豊になると言って勉強させたからに他ならない。
そうやって煽られることで、人々は常軌を逸してしまった。人々を救うどころか自分が生きていく為には経済世界で勝つしかないという愚かな発想を持ってしまったことにある。
我々が生きていく為に必要なことは経済活動をやることではない。むしろ、政治的活動によって主権を使って生きていくべきなのである。働くことは大事であるが、働かないと生きていけない世界は間違っている。
これは経済社会のルールが、人間社会のルールより優先されることから起こる悲劇であり、従って、経済社会のルールは経済活動のみに限定する必要があることを意味している。
そのためには、国家が教育を牛耳っていては、その活動は出来ない。人間よりお金が優先される世の中は間違っている。我々人間社会で最も優先されるべきものは、人間であるという当たり前のことを教えなくてはいけない。
そのためにも、学校教育を国民の手に取り戻し、その運営資金を使って多くの寺子屋を復元し、人間が最も大事であることを人間である国民が身をもってこどもたちに教えなくてはならないのである。
我々は働くロボットではないし、国家の奴隷でもない。主権者として国家を動かし、幸せを掴む人間である。当然、お金は全てではないし、お金は我々の奴隷であるべきである。従って、我々は無限の資源であるお金を使って自由を手にし、悔いのない人生を生きる権限を有していることを忘れてはいけない。