今や金融では経済が動かないことは世界中の人が知るところとなっています。
いわゆるお金で世界を動かせなくなっているという事態。それは、格差が拡大することで証明されると思います。経済が完璧に機能するということは必要と供給が完全に一致するという事。
それが不全だと、お金がだぶつくことになる。単に余るだけならばバブルを引き起こすだけなのでしょうが、余り過ぎると逆に足りないところが増えるという側面があり、それが格差となって表出するのではないかと思います。
何故そうなるのかと言えば、お金というモノが必要を満たすためにないからです。マネーゲームと言われるように、お金とは暇つぶしの道具に過ぎないからだと思います。そんな道具ですから、遊ぶのには適しており、色んなルールを作って遊ぶことが出来る。
そういうものを必要のために使っていること自体に本当は問題があったのかもしれませんが、その本性が見えるまでに時間が掛かってしまったのではないかと思うのです。
お金の自由度が、私たちの必要を見えなくし膨大な不必要を作り出してしまい、我々は現れては消える不必要に振り回されてしまったのではないでしょうか?
我々は、きっと必要を満たしたかっただけなのだと思います。恐らく、必要はあっという間に満たせたわけで、そのあっけなさに物足りなさを感じて遊んでみたんだと思います。しかし、その遊びに熱中してしまって気づいたらとんでもない事になっていた。
遊びは面白いから仕方ないのかもしれませんが、そろそろ原点に戻る時ではないかと思います。楽しい遊びであればまだいいのでしょうが、今や危険な遊びとなっており怖さが先に立っているのではないでしょうか?
遊んだお陰で、様々なテクノロジーを手にしています。そのため必要も相当に増えて来ましたが、そういう必要を満たすテクノロジーも手にしていると言えるでしょう。結局のところ、必要を満たすのは供給でしかないと思います。
かつては、お金という媒介が必要であったかもしれませんが、今やそういう媒介物は必要のない状況なのではないのでしょうか?100年以上も使ってきた習慣から抜け出すのは大変だとは思いますが、その習慣を無くすことで、我々は不必要な労働から解放されることになるんです。
人間は働くために生まれた機械ではないことは誰でも知っていると思いますが、お金に使われる限り働く機械にさせられていくことは充分ご理解いただけていると思います。
大事なのは、この社会を円滑に運営し我々が必要とするものを最小限の労働で手にすることだろうと思います。そのためにもお金という媒介物を排除しなければなりませんし、お金自体もそろそろ引退したいと言っているような気もします^^;
今や、お金の為に必要を満たせない状況さえ頻繁に見受けられます。この状況自体も、お金の引退を示唆するモノであり、我々はそのことに従うべきではないかと思うのです。
きっと、お金というモノも誰かが考えて生み出したモノであり、誕生した時点からいつかは終わることが義務付けられていると思います。この世は諸行無常の世界です。日本人なら誰もが知っている当たり前のことだろうと思います。
その当たり前に素直に向き合うだけのこと。そんなに難しい事でも無理なことでもないと思います。むしろ、消え行くモノにしがみつく方が難しく、そして疲れることだと思います。