久しぶりにお金について思った。
お金については散々書いてきたのだが、お金と幸福については書いてなかった気がする。
恐らく、世界中にはお金が溢れている。それは時を遡ることで分かると思う。しかも、長ければ長いほど。例えば50年前、いや百年前、いや千年前はどうだろう。GDPなどで測っても、どれほど世界にお金が増えたかは実感できると思う。
では、それに比べて“幸福”はどうだろう。我々人間にとって最も価値あるものであり、お金でも買えないと言われるものだ。
お金のように客観的に測る指標がないから難しいのか?
それならば、自分の中で測ってみたらどうだろう?10年前より幸福になったのか?
恐らく、それさえ気づかないかもしれない。更には「幸福って何なんだ?」という人さえいるかもしれない。我々人間にとって最も大事な幸福というものが等閑にされている証拠ではないかと思う。
中には、「お金があれば幸福」と思う人もいる。いや、そういう人が多いのかもしれない。言語道断、本末転倒というところだろうか?
お金とは一つの手段である。幸福とは最上位の目的である。カテゴリが違うのだ。
金という手段を幸福という目的と置き換えるということは、幸福が分からない人に多い。
「だから、何なんだ!」と、お叱りを受けそうだが、これを逆にすると面白いのだ。
つまり、人の幸福を見えなくすれば、お金に走るという話になるのだ。
そして、そういう視点に立つと、お金が増えているということは、その分、幸福が隠されたということではないかと思うのである。年々隠される幸福の影でお金が増えていく。言い換えれば、お金とは不幸のバロメーターであるということである。
他人の不幸は蜜の味という言葉があるが、まさにお金によって証明されるのではないだろうか?
お金については散々書いてきたのだが、お金と幸福については書いてなかった気がする。
恐らく、世界中にはお金が溢れている。それは時を遡ることで分かると思う。しかも、長ければ長いほど。例えば50年前、いや百年前、いや千年前はどうだろう。GDPなどで測っても、どれほど世界にお金が増えたかは実感できると思う。
では、それに比べて“幸福”はどうだろう。我々人間にとって最も価値あるものであり、お金でも買えないと言われるものだ。
お金のように客観的に測る指標がないから難しいのか?
それならば、自分の中で測ってみたらどうだろう?10年前より幸福になったのか?
恐らく、それさえ気づかないかもしれない。更には「幸福って何なんだ?」という人さえいるかもしれない。我々人間にとって最も大事な幸福というものが等閑にされている証拠ではないかと思う。
中には、「お金があれば幸福」と思う人もいる。いや、そういう人が多いのかもしれない。言語道断、本末転倒というところだろうか?
お金とは一つの手段である。幸福とは最上位の目的である。カテゴリが違うのだ。
金という手段を幸福という目的と置き換えるということは、幸福が分からない人に多い。
「だから、何なんだ!」と、お叱りを受けそうだが、これを逆にすると面白いのだ。
つまり、人の幸福を見えなくすれば、お金に走るという話になるのだ。
そして、そういう視点に立つと、お金が増えているということは、その分、幸福が隠されたということではないかと思うのである。年々隠される幸福の影でお金が増えていく。言い換えれば、お金とは不幸のバロメーターであるということである。
他人の不幸は蜜の味という言葉があるが、まさにお金によって証明されるのではないだろうか?