昨年の十一月末、私は一年ほど勤めていたアルバイトを退職した。

理由は責任者との関係の不和であり、つまるところ、私が精神障害者だという事に対する相互理解が得られなかったことだ。

今でも、責任者との会話の内容をはっきりと覚えている。

『私は長年接客・サービス業に従事しております。私の経験則、あなたのような方は障害を方便にして甘えたり、楽がしたいだけであり。本当はもっと苦労も苦痛もたくさん経験しないといけないのに、それをしたがらないだけの子供のようなひとなのです』

一文にまとめるなら、こうなるのだろうか。

私は思った、何度も何度も障害について面談をしてみて、最終的にこのような言葉で落ち着いてしまうほど、偏見は根深いのか。

‥‥確かに障害を方便にして優位に振舞おうとする障害者が、いないわけではない。

精神の弱さ、心の弱さ、人間関係に、脳のはたらき。

さまざまな要因から、多種多様の障害が存在する。

だが、身体障害者と違い、精神障害者は一見するだけでは判断がつかない。

「どこが悪い」のか「どこが不自由」なのか「なにが出来ない」のか「なにが不得意」なのか。

それらを言葉で説明することは、決して難しくない。

しかし、実際に雇用側が目で見て分かるわけではないものを、本人の言葉のみの情報で理解をするというのは、非常に難しいことだろうと思う。

 

何はともあれ、私は十二月から新たに求職活動を始めることになった。

そんな私の最大のネックは、ハローワークを活用することができないことだった。

最寄りのハローワークへは自家用車を使うことができず、公共交通機関を使うしかない。

また、仮に最寄りのハローワークまで電車やバスを乗り継げば、往復で二千円は下らない。

しかも定期的に通わなければならないとなれば、交通費を捻出するだけで、私の資産が底を尽きてしまうのだ。

当時、通院していたクリニックがあり、また食費や燃料費、通信費や保険料は、すべて払えるものは自分で払っていた。

そのため、求職活動は、ネットの求人サイトか無料の求人広告・雑誌に頼らざるを得なくなったのだが、しかし二月の末まで九社受けて、すべて断られた。

派遣登録もしていたが、芳しい結果は得られなかった。

履歴書に精神障害者という言葉を書き込んでいたのが原因だったのかと、疑いたくなる。

最後に受けた会社では、履歴書に精神障害者であることを書き込まなかったことは言うまでもない。

 

そろそろ、ハッシュタグについて触れようと思う。

 

私には、おおよそ百害あって一利ない両親がいる。

具体的にどういう両親なのか、説明をしようとするとどこから手をつければいいのか分からないので、近況から語ってみたいと思う。

 

私が障害者であると知ったとき、両親の反応は冷めたものだった。

『だからなんなのか?』

当時両親の口をついて出たのは、このような言葉でしかなく、私が障害を理由に会社を辞したあとも、ほんの数日後には。

『遊んでばかりいないで仕事を早く探せ』

と言うような状態だった。

私はいつしか、両親たちと話をすることを諦めた。

私が大学に入り、学業に行き詰まったとき、両親がかけた言葉は。

『大学の学費を無駄にするな』

だった。正直耳を疑った。

私はいつしか、心理学や社会学、哲学に傾倒するようになり、卒業論文もそれで書き上げたのだが、結局両親は俺のやること成すことに興味を示してくれることはなかった。

少し遡るが、耳を疑いたくなる言葉を、俺は中学時代に何度も聞かされている。

『誰のおかげで生活できているのか』

『誰のおかげで生きていられるのか』

『誰に食わせてもらっているのか』

このような言葉を、両親から散々聞かされ続けていた。

 

最近、両親はこう言う。

『私たちはお前の為に尽くしてきた、その恩に報いようとは思わないのか?』

『お前にたくさんいい思いをさせてやってきた、色んなものを買い与え、好きなものはなんでも買ってやったのに、どうして反抗的なんだ』

『お前は所詮悲劇のヒロインを気取りたいだけだ、嘘デタラメをでっち上げて、親の顔に泥を塗りたいだけのわがままだ』

 

何より耳を疑いたいのは。

『親と子供に言葉は必要ない、親であれば子供のことはなんでも分かるし、子供も親のことならなんでも分かる。察することができないのかお前は』

 

私は、その都度対話を試みた。

『その思いや願いが一方通行になってないのか、どうして疑わないのか?』

『自分たちが決して間違ってないと、どうして断言ができるのか、根拠がきちんとあるのか?』

『言葉がなくては、何も伝わらない。気持ちなんて、目に見えない。どんなに血が繋がっていても、私たちは人間だ。人間は言葉無くしてお互いを理解しあうことなんてできない』

 

『逆に聞きたい。私のことをなんでも知っているのなら、私が何を考えているのか、何を思っているのか、何を欲しがっているのか、当ててみてほしい』

 

両親からの言葉は、散々なものだった。

『親のすることに間違いはない』

『察することのできないお前が悪い』

『お前のことなんか分からない』

 

 

破綻しているではないか。

どこに正当性があるのか、どこが間違ってないのか。

私には、理解ができない。

 

 

 

先日、父が部屋の前までやってきて『いつまで遊んでいるつもりだ?』と聞いてきた。

『一日中家にいて、何もせず遊んでばかり、国民健康保険や年金の支払いはどうするんだ、こっちじゃ払えないぞ』

私は、求職活動をしていることを伝えた。

『うるせぇばかやろう!!そんなこと知らねぇよ!!』

怒鳴られた。

ドアが殴り付けられて、何かが壊れるような音がした。

俺は、恐怖を覚えた。

殺されるのではないか?そんなイメージが一瞬過ぎった。

どうして暴力を振るうのか、尋ねた。

『暴力なんか振るってない、なにが暴力だっていうんだ、わけがわからない』

わけが分からないのはこっちの方だ。

結局父は終始

『税金はどうするのか、払うのか払わないのか』を聞いてくる。

私は、払えないなら払わなくても構わないと伝えた。

すると

『舐めた口聞いてんじゃねぇ、結局どうするんだよ』

答えたのに、取り合ってもらえてない。

私は閉口した。

このひとに、言葉は通用しないのだと。

そう思うしかなかった。

 

 

 

私には、今月目標がある。

それはパートナーの卒業旅行の計画だった。

都内にある、文学者と馴染み深いホテル、そこで二泊過ごそうと計画していたのだった。

 

だが、現在その計画は困難になっている。

三月四日現在、所持金は三千円。

携帯電話が三月二日にストップ。

今月の給料はおよそ二万。

来月の給料の見込みも五万がせいぜい。

消費者金融はすべてお断り。

市役所の福祉資金の審査はまだ通らない。

 

打つ手が、なくなってしまった。

 

 

私はパートナーに連絡した。

どうするべきか、どうしたらいいだろうかと。

パートナーは終始、諦めることを視野に入れることを話ていたが、私には蟠りがあった。

「これは単なるわがままなのだろうか」

力なく零した言葉に、パートナーは『どうしてそんなに卒業旅行に行きたいのか』尋ねてきた。

私は答えた。

「夢を見たいから」だと。

 

「俺の今の現実は、月に五万稼げるかくらいの低所得者だ。

余計な肩肘張ってないで、見栄も捨てて、分相応に振舞うのが本当は正しいんだ。

だけど、だけどさ。

俺は思うんだよ。

俺は何のために生きているんだろうって。

俺は、税金を納めるためだけに生きているのか?

俺は、通信費や保険料を納めるためだけに生きているのか?

そんな現実、俺は嫌だよ。

見ていたくなんかないよ。

だからさ、だから。

せめて、夢くらい見たい。

いま見える現実が、屁でもなくなるような、大きな夢で、心を満たしたい。

現実から逃げるんじゃなくて、現実と向き合えるくらいまでに、心を豊かにしたい。

これは、俺のわがままなんだろうか。

身勝手な、利己的な考え方なんだろうか。

俺は、間違っているんだろうか。

でもさ、一番つらいのはさ。

その現実をさ、親に言われたのが一番つらかった。

税金を払え、金を払えって、親にだけは言われたくなかった」

 

 

俺は、精神的にだいぶ追い詰められていたと思う。

気が付けば、そうパートナーに告げた時、涙が止まらなかった。

パートナーも、つられて泣いていた。

 

 

 

俺は、未だに親が考えていることが理解できない。

幸せだった、満たされるような思い出があるのかと問われれば、はっきりと「無い」と言えるくらい。

確かに、小学生までの間、沖縄旅行や北海道旅行。

誕生日に、当時流行っていたゲームを買ってもらったりすることはあった。

 

確かに、恵まれていたとは思う。

だがそれで、私の孤独が埋まることは決してなかったと、確かに思うのだ。

私がゲームをしていても、遊んでいても。

両親はなんの関心も示してくれなかった。

話しかけに行っても『変なの』としか言われない。

『お前は変わっている』

『お前はおかしい子だね』

『お前は変人だね』

さも、褒め言葉のように、両親は俺にそう言った。

 

俺は、幸せ者なのか?

俺がただ単に、親不孝者なのか?

だれか、教えてくれるのなら、教えて欲しい。

 

俺は、変なのだろうか?

ああ、三月になったんだな。

 

平成30年の三月の一日は夜中からずっと続く激しい雨と共にやってきた。
これを書き始めたのは朝の7時半頃なのだが、小腹が空いていたので蕎麦を茹でて食べていた。
加減を気をつければ、炊飯器で調理ができるのでありがたい。
6畳の一室、ここが私の部屋であり、フィロソフィアンの拠点となる。

 

昨晩は、コミュニティのメンバーたちとTRPGを楽しんでいた。
最近はもっぱらクトゥルフ神話TRPGが面白い、今回は比叡山炎上というサプリメントを使ったシナリオを遊んでいた。
日本の戦国時代を舞台にしたクトゥルフ神話TRPGは、本来タブーである神話生物との戦闘が楽しめるシステムで、私としてもなかなか楽しめるゲームだった。
ゲームが終わったのは夜中の2時、そこからずっとアフタートークを続けて、気が付けば微かに空が明るくなっていた。

 

 


どうしてこのブログを立ち上げたのか。

平成30年の3月1日、今日は私にとってちょっとした節目になる。

と言うと少し大げさになるだろうか、要は新しい仕事先決まったという話なのだ。

 

私にとっては実に喜ばしいことになるが、しかしこれを見ている人達からすれば、なんら大したことのない話に違いない。

だから、ここで簡単に私の身の上についてお話をさせていただき、このブログの開設の挨拶とさせていただきたいと思う。

 

 

私は平成元年生まれ、千葉の上総内房に暮らしている。

そんな私には、将来を約束し合ったパートナーがいる。

パートナーは東京生まれの東京暮らし、ゆくゆくはパートナーの暮らす東京へ移り住む計画だ。

その為に、私とパートナーは同棲するための資金調達に奔走している。

 

そんな私は、所謂トランスジェンダーだ。

私の肉体は間違いなく、そういう性別なのであるが、しかし私の意識は、その性別とまったく一致していない。

性の認識に齟齬があるのだ。

別に、不自由はしていないが、ときどき気まずい気分を味わうことはある。

 

そして私には、私にとって害でしかない肉親がいる。

肉親との軋轢は、私が幼少期の頃から既に顕在化していたし、私はそれを常に疑問視していた。

理解は、し合えないだろう。

非常に煩わしいことではあるが、私と肉親とでは、同じ日本人であっても、同じ日本語が通用しないのである。

 

 

そんな私にとって「思考すること」は、至上の喜びである。

「考えること」は、私にとってはこの上ない快楽であり、私にとって数少ない娯楽でもあるのだ。

また、私は「TRPG」というゲームを愛してもいる。

コミュニケーションを根底にしたゲームで、最近は若い世代でも頻繁に遊ばれているゲームだ。

そして何よりも、私はわたしのパートナーと話すのが好きで好きで仕方がない。

パートナーとの時間の共有や、思考の共有、感覚の共有は、私に強い満足感を与えてくれるのだ。

 

 

こんな私だが、本日より

わたしの身の上話をメインにしつつ、色々更新していけたら良いと考えている。

今後ともお付き合いいただけましたら、幸いでございます。