K.Markのブログ

K.Markのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

 世の中にはさまざまな健康法があふれていますが、それを実行することで体調を良くするとか美容的な効果があるとかいった一定の効能が期待できるというか、そういった効能を期待して実行している人が大半ではないかと思われます。


 その場合、”不足しているものは外部から補充して補えばよい”と考えるか”外部から補充することは難しいので無駄遣いを抑制する”方向で考えるかといった考え方の違いで具体的な健康法の内容が変わってくることがあるのですが、基本的に”生れ落ちたときがピークで次第に減衰して死を迎える”のではないかと私はですが考えています。


 故に、途中で外部から補充する行為というのは、たとえて言えば自動車やバイクにガソリンを補充する行為や、ストーブに燃料を補充する行為に類似しているとも考えていまして、どちらかといえば”過剰摂取が問題になっている時代”だとも考えています。


 まあ、一番分かりやすい”過剰”は”肥満”と呼ばれる体の変化ですが、話をややこしくすると人類の長年の悲願は”いかに肥満体になるか?”ということであって”いかに痩せた状態に陥るか?”では無いという現実もありますし、肥満が社会問題になるほど食糧に満ち溢れた状態が実現したのは20世紀も終盤の、それも先進国と呼ばれる地域から生じた仇花というか砂上の楼閣のような現象に過ぎなかったりもします。


 ざっくり書くと、先進国と呼ばれる国で生活しているからといって今後も飽食ないし、肥満を維持することが可能か?と考えると、それこそ”食べることができる内に食べておけ”としか言いようがない、きわめて近未来において絶望的な食糧不足が確約されている社会に生きていることも確かな話になるわけです。


 少子高齢化が進み、四半世紀もすれば総人口が半減する云々と日本政府が(これまたざっくり書けばTPPがらみで)口走り始めているのは比較的知られた話ですが、日本の国土で有機農法に近い方法で養うことが可能な総人口というのは多く見積もって5千万人規模なだけに、4~5千万人規模に総人口が減少するというのは単に適正規模に収斂していくだけと解釈することもできるわけです。


 経済面で世界屈指の国になった日本の社会が果たして住みよい社会になったのか?と考えてみれば、特に亜米利加が大好きなグローバル経済への再編を念頭に既存の社会制度を崩壊させた小泉改革以降の日本政府の政策が”新しい社会制度の構築”に繋がっていない代物のまま推移し、かえって既得権保持のための規制強化だけが着々と進行していることは”増税”だけは着々と実行されていることで間接的に露見しているのではなかろうか?


 アバウトな試算として、税引き前で月収20~25万円の場合、月に6~7万円程度の消費活動をしていると消費税が5%から10%に上がると、年で考えると7~8万4千円が消費税としてかっぱがれていることになり、公的年金や健康保険など公的負担が最低ラインでも年で1か月分の収入以上の金額になるため、実に総収入の2か月分近くが実質的な”税”として国に強制的にかっぱがれるようになります。


 政府が消費税増税を主張するときに、”欧羅巴では20~30%という水準の消費税が珍しく無いのだから、日本の消費税はもっと増税すべきだ!”といった主張したがるのですが、なら公務員や政治家の給与水準も欧羅巴に準拠(300~350万円程度)しろと私は言いたいですし、そもそも経済モデルを亜米利加のグローバル経済を前提にしておいて、税制だけは欧羅巴と比較するというのがペテンというか詐欺師のやり口と言えます。


 不思議なくらいマスゴミも意識的に触れないようにしている話に、”亜米利加には消費税が存在しない”という極めて真面目な話があり、基本的に”稼いでいるやつから所得税などで徴税しろ!”という課税の方向性の違いが欧米の税制の間にはあるわけです。


 故に、これまでタックスヘブンと呼ばれる所得税などがアメリカ国内よりも軽微な国にペーパーカンパニーをでっちあげて、名目上の活動拠点とすることで国内の課税から逃れていた企業の類への批判が高まり ・・・ アップル社が史上空前の利益を上げていながら会社として亜米利加への納税を可能なかりぎ回避していることが発覚したりもしましたが ・・・、亜米利加の資産(人や社会インフラ、公的なサービスなど)を利用して稼いでいるのなら亜米利加に税として還元しろというごもっともな声が大きくなっているということです。


 グローバル経済化といえば聞こえがいいですが、それは亜米利加の消費様式を世界に広めるというだけでなく、特定の国に税を納めない企業活動にとって理想的な経済環境への再編も意味していますから、国という単位で考えると”稼ぐのは私(企業と資産家)だけ、その稼ぐ行為にともなう負担は私以外の連中が支払うべし!”とでもいった状況を肯定する考え方ですし、競合相手がいない市場であれば可能な限り高値のままで販売が続けられることは過去の実績が示しているところではありましょう。


 かって経済の一つの指標として”ビックマック指数”という怪しげな指標があり、世界のあちこちから材料をかき集めて加工し再配分しているが故に人件費以外の”原価”が販売する国や地域の事情に左右されず、世界中に展開しているマクドナルドでほぼ共通して販売されているビックマックの”売価”が、その国の一般的な消費者にとってどのくらいの負担になっているのか?とでもいった分析の視点とも言えます。


 実際、Aという国だと子供の小遣い銭程度で購入でき、学生でも週に何度か食することが無理なく可能な水準だとしても、Bという国だと新人サラリーマンが彼女とデートするときに月に1度の贅沢なディナーを食べるのと同水準の出費水準となるといったくらいにばらつきがあります。


 というか、日本の場合でも、ビックマック単体でも既に割高感があり、、一時期、100円ハンバーガー単品を購入し、飲料は他で調達する光景も見かけましたが、満腹感や栄養バランスなどを考えると、”適当な食堂や弁当屋でも開拓するか、自分で弁当作ったほうがましじゃね?”と考え実行に移す人が増加しているのではないかと。


 グローバル経済の恩恵といわれても、既にマックやKFCといったかっては定番だったファーストフード系の食でさえ”割高”に感じる人の方が多くなっていますし、亜米利加型ファーストフードの第2陣的な存在だったスターバックスなどのコーヒー店の隆盛に対抗するかのように、コンビになどでワンコイン系のコーヒーを出したら大ヒット商品となった理由も、スタバの商品とサービスへの対価(=値段)に割高感を感じる人が増えていると考えるべきだろうなと。


 また、マクドナルドが客の回転数を上げる方向であれこれ画策した結果として、”それなら、コーヒー一杯でも長時間ねばれて店内も静かな喫茶店の方が、コーヒーも上質だし、席料込みと考えたらさして高くないじゃん?”と考えるような上客層を遠ざけることに繋がったように、今も昔も富裕層ほど知識も経験も豊富になりやすいだけに"安さ”だけでつなぎ止めることは難しいのではないかと。


 実際、中国のナゲットなど食肉加工工場でかなり不衛生な行為が横行していて世界的なニュースになったことからも、”安全性”とか”良質”といった部分を犠牲にして”安さ”だけを錦の御旗のように振りかざしてグローバル経済の正義を主張しても、首肯しない人が増え始めている ・・・ 食でいえばファーストフードからスローフードへの回帰を志向する人が、さして所得が高くない階層にも増えてきていると言えましょう。


 それこそ、エンゲル係数が高くなったとしても、トータルで考えるとそれは"命を買っているコスト”と考えるべきという人が増えてきているということで、皮肉なことに肝心の亜米利加で、富裕層は健康や栄養学の知識が豊富な人が多く、日本食を含むスローフード系に食がシフトして肥満も減少したのに対して、貧困層ほど割安で満腹感があることを優先し、健康や栄養学などの知識も(相対的に)少ないが故に従来のファーストフード系の食生活のまま推移していて云々といった情報もまた世界規模で知られるようになってきています。


 それ以前に、亜米利加のエネルギーを含む支援を大量消費する消費生活をグローバルに展開すればどうなるか?資源が有限である以上、アメリカ型消費生活を前提としたグローバル経済化の理屈というのは行き着く先に全員が破綻する将来しか待ち構えていないネズミ講の一種に過ぎない虚構の理論と言えるのではなかろうか?


では、また来月。