地震
地震後はさ、電気が来てないからテレビとか見れなくてどういう報道されてるのかとか分からなかったんだよね
それを今YouTubeで見てた
あぁこうなってたんだって
知ってる場所が津波に飲まれていくのは切ないよね
義援金以外で何かできないかと思って友達と一週間ほど泊まり込みで各避難所にボランティア行ってきました
昨日の昼に帰ってきて爆睡してた。笑
最初は石巻の女川に行きました
可笑しいんだよ光景が
石巻のイオンは普通に開いてるの
そっから車で10分行くと全てが無くなる
徐々になくなるんじゃなくて線引きしたようになくなる
この日は憲法記念日?だったからかわからないけど津波で流された家に日の丸が掲げられてました
目を疑ったのはこの光景
ビルの上に車があった
美談を探すカメラマン
露骨に何か美談ない?って聞かれた時は切れそうになった
津波と地震にやられたゲオ
普段お世話になってるんでなんとも言えなかった
避難所って書いてある津波で壊れた集会所をみた時は何も言葉がでなかった
たくさんの人と出会い
たくさんの人と話し
人間のいろいろな面を見ることができた
いいとこも嫌なとこもね
最後に…自衛隊かっけー★笑
Android携帯からの投稿
それを今YouTubeで見てた
あぁこうなってたんだって
知ってる場所が津波に飲まれていくのは切ないよね
義援金以外で何かできないかと思って友達と一週間ほど泊まり込みで各避難所にボランティア行ってきました
昨日の昼に帰ってきて爆睡してた。笑
最初は石巻の女川に行きました
可笑しいんだよ光景が
石巻のイオンは普通に開いてるの
そっから車で10分行くと全てが無くなる
徐々になくなるんじゃなくて線引きしたようになくなる
この日は憲法記念日?だったからかわからないけど津波で流された家に日の丸が掲げられてました
目を疑ったのはこの光景
ビルの上に車があった
美談を探すカメラマン
露骨に何か美談ない?って聞かれた時は切れそうになった
津波と地震にやられたゲオ
普段お世話になってるんでなんとも言えなかった
避難所って書いてある津波で壊れた集会所をみた時は何も言葉がでなかった
たくさんの人と出会い
たくさんの人と話し
人間のいろいろな面を見ることができた
いいとこも嫌なとこもね
最後に…自衛隊かっけー★笑
Android携帯からの投稿
放置
かなり放置してたね笑
まだ見てくれてる人いるのかな?
いろんなことがありました。
世界が変わったっていう表現が適切なのかな?
あの日、地震で倒れたテレビに肩をやられて割れたガラスで血まみれになって
人生初めての停電があった
非常用のラジオは電池入れてる蓋壊れてて使えないし
携帯も使えなかったから情報が全く入ってこなかった
まさかこんなことになってるなんて思わなかったよね
夜にDSでワンセグ見れたことに気付いて最初に見た光景は
昔住んだことのある場所が津波に流されていく光景
映画のワンシーンみたいなのに流されている場所が知ってる場所だっていうのがね、不気味だった
被災してない人たちはあの光景をどうみてたんだろう
トイレが使えないから何年かぶりの立ちしょんだったけど(笑)電気がないせいかやたら星が綺麗だった
河北新聞だけが発行してるって聞いて次の日買いに行って被害の大きさとを思い知り、女川壊滅の文字に愕然とした
女川は父の職場だから
あぁこれはやられたかもなって思ったね
携帯はメールの受信しかできなくて
何人もの人がメールくれた
一斉送信はちょっと切なかったけど(笑)
なかには何通も送ってくれた人がいて本当に嬉しかった(その人に後日電話したら号泣されちゃって、俺の無事をベランダで祈ってくれてたみたい笑)
買い物行きたくても店が開いてない、開いてても長蛇の列(ヨークベニマル入るのに三時間並んだし)、入れても品物がない、ガソリンもない
でもボランティアで地方の避難所回るようになったら生きてるだけ良かったんだなって思った
ちびっ子達と地震さんを逮捕しようって遊んでたんだけど、ある子が
地震めーママとパパを流したなー
って笑いながら言ってて…笑みが引いた
まだどういうことか分からないんだなって、他にも津波に流されて抱いてた赤ちゃんが流されちゃったお母さんがいた、助かったけど自分より若い命が亡くなったことで申し訳なさを感じて苦悩するご老人がいた
自分の無力さをつくづく感じた
そして人の温かさも感じた
店の前通っただけなのに
兄ちゃん、ガスで飯炊いたから食っていきなって炊きたての超山盛りのご飯に店で出せないからって大量の海鮮を乗っけて超豪華海鮮茶漬けにして食べさせてくれて帰りにご飯をお土産にくれた八乙女の力寿司、開店してるけど普段より高い店が多い中店の商品一つ百円で売った黒松のサトー商会、地震の次の日から店開けて温かい肉まんを売ってくれた中華の弁当屋さんとか
いろんな人に支えられてるのを感じた
まだ見てくれてる人いるのかな?
いろんなことがありました。
世界が変わったっていう表現が適切なのかな?
あの日、地震で倒れたテレビに肩をやられて割れたガラスで血まみれになって
人生初めての停電があった
非常用のラジオは電池入れてる蓋壊れてて使えないし
携帯も使えなかったから情報が全く入ってこなかった
まさかこんなことになってるなんて思わなかったよね
夜にDSでワンセグ見れたことに気付いて最初に見た光景は
昔住んだことのある場所が津波に流されていく光景
映画のワンシーンみたいなのに流されている場所が知ってる場所だっていうのがね、不気味だった
被災してない人たちはあの光景をどうみてたんだろう
トイレが使えないから何年かぶりの立ちしょんだったけど(笑)電気がないせいかやたら星が綺麗だった
河北新聞だけが発行してるって聞いて次の日買いに行って被害の大きさとを思い知り、女川壊滅の文字に愕然とした
女川は父の職場だから
あぁこれはやられたかもなって思ったね
携帯はメールの受信しかできなくて
何人もの人がメールくれた
一斉送信はちょっと切なかったけど(笑)
なかには何通も送ってくれた人がいて本当に嬉しかった(その人に後日電話したら号泣されちゃって、俺の無事をベランダで祈ってくれてたみたい笑)
買い物行きたくても店が開いてない、開いてても長蛇の列(ヨークベニマル入るのに三時間並んだし)、入れても品物がない、ガソリンもない
でもボランティアで地方の避難所回るようになったら生きてるだけ良かったんだなって思った
ちびっ子達と地震さんを逮捕しようって遊んでたんだけど、ある子が
地震めーママとパパを流したなー
って笑いながら言ってて…笑みが引いた
まだどういうことか分からないんだなって、他にも津波に流されて抱いてた赤ちゃんが流されちゃったお母さんがいた、助かったけど自分より若い命が亡くなったことで申し訳なさを感じて苦悩するご老人がいた
自分の無力さをつくづく感じた
そして人の温かさも感じた
店の前通っただけなのに
兄ちゃん、ガスで飯炊いたから食っていきなって炊きたての超山盛りのご飯に店で出せないからって大量の海鮮を乗っけて超豪華海鮮茶漬けにして食べさせてくれて帰りにご飯をお土産にくれた八乙女の力寿司、開店してるけど普段より高い店が多い中店の商品一つ百円で売った黒松のサトー商会、地震の次の日から店開けて温かい肉まんを売ってくれた中華の弁当屋さんとか
いろんな人に支えられてるのを感じた





