ワインはお好きでしょうか?
日本でワインが日常的に飲まれるようになってずいぶんと経ちます。とはいえ、一般的にみれば、(特に好きでなければ)飲むのはフレンチ、イタリアンのレストランに行った時とか、家庭で「たまにはワインにしてみようか」とデイリーなものを買い求めて飲むくらいかと思います。ブームの時に流行った、セラーをおいて何本かのコレクションを持っているなどという方はすでにかなりの少数派であると思います。
では、手に取るワインのお値段はどれくらいでしょう?
デイリーに家庭で飲むとしたら500円~2000円くらい?レストランなら5000円~奮発して10000円くらい?
今日お話しするのはその先にあるワインのことです。私が日本料理店なのにワインを置き始めたのは1980年代の半ばくらい。何本かの素晴らしい出会いがあって「こんなに美味しいもの店に置かない手はない」と思ってからです。「こんなに美味しいもの」というワインは、グラスに顔を埋めて香りだけでため息をつき、このまま死んでしまっても後悔しないかもと思ったり、一口ふくんでずっと舌の上で転がしていたいと思うような奇跡の出会いがあったワインたちです。たくさんはないそういうワインたちは、多くの場合どこの誰が、どんな土地でどんな方法で醸造し、何年の熟成を経てきたかが明確です。一度奇跡の出会いを経験して幸せな時間を過ごすと、あの出会いをもう一度と、造り手や熟成やブドウの種類などといった、興味のない方からみるとスノッブで高慢なお遊びにも似たことを突き詰め始めてしまいます。
「雨上がりの枯れ葉の香り」とか「ぬれた子犬の香り」
ああああ、洒落臭い!気取ってやがる!と思われてしまうあの言葉遊びです。
実をいうとあのワインをキザになり下げてしまっている言葉遊びに見えるものというのは、味わいと香りを言葉にして記憶させるためにあるもので、「私、ワインの通なんです」と認識をしてもらうためのツールではないのですが、それはさておき、そういう小難しい表現を淘汰してしまう言葉があります。それがフィネス。
「洗礼されたもの」「繊細なもの」「上質なもの」
とでもいう意味で、四の五の言わずに「とんでもなく美味しいやつ」「その辺にあるワインなど足元にも及ばないやつ」とでもいうニュアンスです。「濡れた枯草」よりも「フィネス」の一言で「この人ワインがわかっている」と思わせてしまうキラーワード。ただし、フィネスの何たるかを理解できるだけの舌を持っていることが前提条件なんですけどね。
優秀な造り手が、受け継がれた好条件のワイン畑で、気候条件が完ぺきな年に作ったワイン。そしてそのワインが正しい熟成期間を経てベストなタイミングで開けられたときにフィネスを感じられるワインとなります。
それだけのことがわかっているんなら、条件にあったワインの寝かせたものを買うか、買って自分で寝かせればいいじゃんと思いますよね。ところがそういう定評のあるワインはかなり値段が高いうえに、寝かせたものはさらに高く、どういう状態で寝かせたのかわからない。さらに皆が欲しがるゆえに希少。自分で寝かせるにしてもブルゴーニュで15年以上、ボルドーなら最低20年。じっと待てるか?さらにさらに、これが一番悩ましいですのですが、苦労して手に入れ寝かせたワイン、絶対美味しいはずってのがままハズレるのです。「こんなはずではなかった」「性悪女に騙されたようだ」「あと五年待てばよかった」「飲むのが三年遅かった」10本開けて8本外れのほうが多い。もちろんそれなりには美味しいのですが。
有名なロバート・パーカーのワイン書ほか、それぞれの造り手のそれぞれの収穫年別の点数評もあるのですが、これって、あくまで新しい出来立てのワインをパーカーが味わって、「この年は素晴らしい」「個の収穫年は10年後に飲み頃を迎える」などなど、想像して書いているのです。あくまで想像、間違っていることも多いのが実情です。
もう一つ言えば、フィネスを感じるようなワインを評価できるようになるためには、ワインの経験をたくさん積むことも大事です。有名なロマネ・コンティのグレート・ヴィンテージ 良き熟成を経たものをワイン経験の少ない方が飲めば、ただただやたらにスルスル喉を通る飲みやすいワインというだけ。猫に小判状態になることは目に見えています。たくさんのワインに触れて経験を積み、上質な熟成のロマネコンティに出会うと、一口飲んで押し黙るのです。「言葉がない」「体の空気が抜けていくような幸福感」に包まれます。外れるかもしれないそんな幸福感を求めて数十万円、時に百万円を超える金額を用意すべきか?が、しかし、一度その多幸感を知ってしまうと沼にはまるのであります。
確かにロマネ・コンティは数十万円ですが、数万円でもそういうワインに出会うことがあります。先日お得意様のために開けたワインはまさにフィネスを感じるものでした。
フランスはブルゴーニュ、ヴォーヌ・ロマネ村 アンヌ・グロという女性の造り手が造ったヴォーヌ・ロマネ ラ・バロー 2006年。(ヴォーヌ・ロマネは村の名前。ラ・バローはの地域の畑の前です)
ロマネコンティの畑から数百メートルを距てただけの場所にある畑でとれた葡萄で作られたワインです。
アンヌさんはおじいさまのルイ・グロから代々続く家系で、その親戚兄弟にはすでに四人の世界的な造り手が切磋琢磨する名家です。四人ともが好きな造り手ですが、中でもアンヌさんは、彼女がかかわった最初のヴィンテージ1988年から脳天を打ち抜かれたような感動を得て、以来ずっと追いかけ続けている方です。これまで何度も彼女の造るワインに感動してきましたが、今回の一本は別格でした。ラ・バローの2006年は12本を購入し、15年近くセラーで寝かせて一昨年から使い始め、当たり年である2005年に負けないくらいの品格の高いワインに成長していました。2006年の在庫は残りあと二本。十分に美味しいことはわかっていましたが、半年前に開けたときと、今回では、熟成がさらに進み、シルクのような舌触りと、なめらかなタンニン、黒いベリーを凝縮したような香りが怪しく満ちて「これぞフィネス」という一段階高みに上り詰めていたのでした。ワインの熟成のピークを見極めるのはとても難しいのですが、12本購入したうちの11本目で「ああ、このヴィンテージはここが頂点かぁ」と理解できたのでした。もちろんこれまでも十分に美味しかったのですが、極みがさらにあったのです。
40年近くワインに関わっていても未だにこういう経験があって美味しさの認知度が高まっていきます。だから性悪女にはまると抜けられないのですよぉ