僕の師匠たる、画家の弥生元爾が亡くなったことを、人づてに聞いた。

「君は天使になれる。」それはもう何百枚も、彼の筆で描かれた僕は、妖艶な神秘性を抱いた虚像で、ミケランジェロが掘り起こしたダヴィデ像を思い起こさせる。

弥生はもう60を超える年齢だというのに、何度も僕を抱いた。白濁のコンドームを、処理するのは僕の役目だ。男性同士のセックスは、セックスそのものを知らなかった僕にとって、偏見の目で見られる筋合いなどなかったけど、ただ突き刺されて、血が流れないのが不思議なくらい痛かった。でも弥生を気持ち悪い、この残酷な支配から抜け出したい、と思ったことはなかった。僕の人生は芸術に全てを捧げるためにあると思っていたし、だから、脳汁で油絵を描いているつもりで、幻虫を浮かび上がらせるように筆を点々と走らせる。最後の仕上げに、剃刀を噛み、血で彩る。出来上がった瞬間に絵は僕の元を離れ、宿主不明の、少年というよりは少女性を抱いていて、フェミニズム学者は僕の絵を女性的だと評し、いつも恥をかく羽目になる。

弥生の遺作は、天使の絵だった。しかも、僕が絵を描いているところを描いた、天使が絵を描いている、という絵。弥生の遺言状には、僕が弥生の血縁であること、遺産の全てを僕に譲る旨が書かれていた。弥生との関係が近親相姦であったことが僕は嬉しかった。だってそれは芸術じゃないか!この遺言状がフィクションである可能性にも、僕の胸は踊った。絶対じゃないからこそ、芸術は美しい。僕は譲り受けた弥生の遺作を持ち帰り、アトリエでそれにグレイの泥を塗りたくった。死ね!死ね!死ね!僕を殺そう、という圧倒的な殺意が、僕を塗りつぶした。花瓶に刺さった枯れた花を放り投げ、それは油絵にペトリと張り付いた。それを僕は黒いビニールで覆ってから棺桶に入れて、深く暗い海へ放った。それはしばらくぷかぷかと浮かんでいたが、数日後見にきたらなくなっていた。弔いは済んだ。僕は、自分が紙に神を描くために、自分に与えられた使命を果たすために、運命とやらを殺すために、無精髭を撫でた。視界にはまっ暗い世界しか写っていなくて、次に使う絵の具は赤にしようと決めた。血の色だけで描かれる天使。それは深紅なる自画像。ただ、その世界が見たい、という斬新な希望を抱き、僕は構想ではち切れそうな頭を抱えて、アトリエへと帰った。