武道を27年と狩猟を6年やっている身として言わせてもらえば、空手で他人と殴り合い、蹴飛ばし合いをやってこそ、殴られる痛みと、殴ることの難しさがわかるもの。
合気道で投げたり投げられたり、押さえたり押さえられたり、関節技で痛い目に遭わせたり遭わされたりしてこそ、「武」がわかってきます。
さらには、真剣の日本刀を使って見ない限り、刀の理合いはわかってこない。
真剣の日本刀で据え物を斬ってみない限り、本当に「斬る」という行為の本質は理解できない。
銃で撃つなり、槍で突き刺すなりして大型の獣を殺して初めて、命の重みと、生き物を殺して食べるということの意味合いがわかってくる。
そういうものだと、小生は痛感しています。
でも、本当のところは、実際にやってみない限り、決してわかりません。
とはいえ、人を殺すことは決してあってはなりませんが、命を重みとそれを戴くこと、仕合や稽古などでドつきあいをすることで、近づくことはできます。
そうやって近づくことで、「武」が「(他人の)矛をとどめる」から、本来の「(自らの)矛(が)とどむる」が理解できるようになります。