黎明の笛(中編)~武を用いる気概とは~ | 押忍!! 武道と狩猟と草莽崛起の日記

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合気道、空手道、居合道など武道修行に励みつつ、地域の農村を守るために狩猟に出掛け、その狩猟技術向上のために射撃練習も行うほか、祖国たる皇国日本を護るため「草莽崛起」にも取り組んでいます。

<前編からの続き>


『黎明の笛』(数多久遠・著)の作品中で、小生の心に深く残った言葉がありました。

登場人物の陸上自衛隊特殊作戦群第二中隊長・秋津和生二等陸佐の言葉です。

「最初に言ったはずだ。武は持つだけでなく、それを用いる気概がなくば意味がないと。自衛官は理解しているかもしれないが、残念ながら、多くの国民は、このことを理解していない。そして、もどかしいことに、日本は民主主義国家だ。これを国民が思い知らなければ、日本の国家意志は変わらない」(P.150)。


ハッキリ言って、この言葉は言い得て妙です。

的を射ていると思いますにひひ


昨年放送されたドラマの『空飛ぶ広報室』の中で、自衛隊の役割や意味について理解していない稲葉リカ・帝都テレビ情報局ディレクターに対して、空幕広報室の空井大佑二尉が「女性が護身術を稽古することの意味」になぞらえて説明する場面があります。


あの例えを引用するならば、その護身術も、いざというときに使えない、あるいは使う気がないのであれば、やっぱり稽古してても意味がないわけです。

使うべき場面において使える。使う気持ちも充分に持っている。それでこそ護身術を稽古する意味がある。

これは護身術に限らず、武道を志すものならば誰しも共通であり、それが目的の一つのはずなんです得意げ


刀は斬れるからこそ意味がある。

斬れない刀なら、ただの棒っきれに過ぎませんよ。

ましてや、斬れる刀であっても使う気がないなら、持っている意味もありません。


もちろん、国家の意志を示すことと、武道修錬の目的とを同列に論じることには無理があります。

でも、国家を護ることや国家の意志を示すには、やはり“武力を使う”ことが必要不可欠になるわけですから、やはり根っ子は同じなんですねひらめき電球




ちなみにアップの刀。

小生の愛刀でござる刀

もちろん、模造刀などではなく、本当に斬ることのできる本物の、つまり真剣の日本刀です。

あ、言うまでもないことですが、一応書いておくと、きちんと『銃砲刀剣類所持許可証』もちゃんと持っているし、届け出もキチンと出してありますゆえ、違法性などの問題は全くもって有りませぬぞ得意げ




<続く>