凄く久しぶりの更新になってしまいました
この数ヶ月色々な事がありましたが、1番大きかったことが
私の祖父の死でした


暫く立ち直れず日々の事をこなすのにいっぱいいっぱいでした

認知症が、悪化し入院、そこで脳の疾患が見つかり手術までしました

私は、祖父の体調が優れなくなった段階で夫と話し合い数ヶ月、令和ちゃんを連れて祖父母の家に行く事になりました

祖母と2人で夜交代しながら、祖父の介護をしました
まだ、その時点では排泄などは介助すればトイレまで行けていました
その後、夜もかなり興奮状態だった為、祖母と話し合い薬の調整とリハビリの為入院しました

入院時の検査により脳の疾患も分かり生命に関わるものではありませんが、少しでも家に帰れる可能性が上がるならと手術に踏み切りました

が、思う様に改善は見られませんでした

コロナ禍というのもあり面会も叶わず
悶々とする日々が続き、
病院から祖父が食事が取れないと言うことを聞き、ゼリーやアイスならと言われ何度も買って病院に届けました
それでも、段々と食事は出来なくなり遂に2週間近く食事が取らなくなった辺りに病院から面会許可が出ました

近くの祖父の兄弟、私の両親、祖母、私と令和ちゃんで面会に行った時には、酸素をしており、会話はもう出来ませんでしたが話しかけると頷き、「わからない」など、声は出ませんが口の動きで分かる程度でした

認知症もあり、分かったのは兄弟と祖母だけのようでした



やっと会えたことで少しほっとし、祖母と令和ちゃんと夕食を食べそろそろお風呂に入ろうと言う時に病院から呼吸が止まりかけていると連絡が入りました

私の両親や祖父の兄弟などに連絡をし、何とか間に合えと願いながら病院へ向かいました
病院へ向かうと母と父が既におり、令和ちゃんははいれないと説明を受け、令和ちゃんを私の父に預け祖母と病室へ向かいました

そこには号泣する母が先に着いたが間に合わなかった事、病院から私達に電話があった5分後にはもう息を引き取ったと説明があったことなどを教えてくれました

家にいた時とは比べ物にならない程やせ細り、ぱっと見ただけでは一瞬だれか分からない程でした

覚悟はしていたつもりでしたが、全くダメで
3人で声を上げて泣きました
そのうち祖父の兄弟も到着し病室を後にしました


その場の全員が、「会いたい人に会えて安心したのかも知れない」と口にしました
勿論、私もそう思いました
祖父は、祖母と弟を待って居たんだろうなと
「妻を頼む」と言いたかったのでしょうか?それとも、「残りの兄弟を頼む」と言いたかったのでしょうか?今となっては知る由もありませんが祖父は満足したのかもしれません

そんな会ったその日に急いでいってしまうだなんてせっかちな祖父らしいですが
私達はやっと会えたと思った矢先に…やり切れないというか、後悔でいっぱいでした

それでもどこか信じきれない気持ちもありました
コロナ禍で、会えない日々が続いた為か良くも悪くも祖父の死の実感が湧かないのです
自宅に帰っても、祖父が病院に居るような気がしてなりませんし
どこか、信じれないというか、受け入れられないというか、実感が本当にわかないのです


葬儀も終わり、夫の元に帰っても落ち着かず思い出しては泣いてしまったり今でもあります
こんなにも身近な人が亡くなった事が私は初めての経験で、
仕事が忙しい両親に変わり、父の様に私を育ててくれた祖父であったので、色々な事をふと思い出しては悲しくなります

葬儀か終わった後も数週間は祖母の家に居ましたが、今は夫の元に帰っているので、1番辛いであろう祖母の事も気になります

毎日電話はしていますが、やはり気がかりで…
夫と話し合い定期的に泊まりに行っていますが、それでも、私達が居ないあいだどうして居るのかとふと不安になります




まだ、まだ、私も精神的に落ち着いてないので
報告までに
また、更新出来そうであれば少しづつ更新して行きますので
よろしくお願いします