新明月記 第63話「馬鹿のカベ」 | 伊勢守日記

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吾妻鏡的、当たり障りない美辞麗句の公式記録。

■2022/05/13(金)新明月記 第63話「馬鹿のカベ」

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丙寅 六白仏滅 雨

フリー素材ぱくたそ(pakutaso.com)

 

まずは1曲。

TBS系金曜19時枠「ウルトラマンレオ」(1974-1975年)前期主題歌・真夏竜、少年少女合唱団みずうみで『ウルトラマンレオ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保身と責任逃れは、医療機関、医療関係者だけではありません。やってるふりの内閣、都道府県知事もそう。それに視聴率と部数がすべての反日メディア(ダマスゴミ)がこれ幸いと便乗して、この国を衰退させるため、大衆をあおり運転して見事にバカが乗せられた。

これは一部の医者、政治家、マスゴミ三位一体の悪業なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主治医に4回目を止められてほっとしております爆  笑

 

 

 

松野官房長官も屋外では原則マスク不要とおっしゃったことだし、聡明な皆さんは、この国を中華に売ろうとしている売国陰謀家の「第7波」だの「XE.2変異株(?)」だのといったタワゴトに惑わされることなく、この馬鹿々々しい騒動をちゃっちゃと収束させようではないか。

 

 

 

    

新コロ脳みそに告ぐ

 

既に大勢は決したのである。

お前たちは、政府や組織の上司の命令を正しいものと信じて絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであろうが、既に政府は軌道修正しているのである。すべてが2020年2月以前に回復するのは、もう目前なのである。

この上、お前たちが飽くまでも抵抗したならば、それは国民の融和を常に願っておられるその名を云うのも文字にするのも畏れ多いお方に反抗することとなり東京裁判2のBC級被告席に座らなければならない。

正しいことをしていると信じていたのに、それが間違って居ったと知ったならば、

徒らに今迄の行がかりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
その名を云うのも文字にするのも畏れ多いお方にそむき奉り、逆賊としての汚名を
永久に受ける様なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて我々の下に復帰する様に
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前たちの父母兄弟は勿論のこと、我々もそれを心から祈っているのである。

「騙されていた」「命令されて仕方がなかった」で構わないのである。

そして、これがA級戦犯の協力者の汚名から逃れる最後の機会なのである。

 

2022年5月13日

前内管領 長崎左衛門尉

 

 

ここでもう1曲。

Winkで『アマリリス』

 

 

 

>プロだなと思った人いる?

本当はいい人なのにヒール(悪役)キャラを貫いて、巨万の富を築いたプロレスラー、

タイガー・ジェット・シン

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  • 1972年、アントニオ猪木を代表に新日本プロレスが創立されるが、しばらくはNWAと日本プロレス(後に全日本プロレス)、AWAと国際プロレスとの提携により、当時ネームバリューの高い外国人選手のほとんどは、新日本プロレスへの参戦が事実上不可能であった。また、創立間もない新日本プロレスは高額のギャラを外国人レスラーに払える状況では無く、無名の選手を育て上げるという手法に依存せざるを得なかった。そういった背景があって、タイガー・ジェット・シンを新日本プロレスに売り込んだのは、当時インドと独自のネットワークを築いていた吉田なる貿易商とされる。この吉田氏が香港でシンの試合を観戦し、新日本側に紹介したといわれている。猪木が無名外国人選手のプロフィールに目を通している時に、口にナイフを咥えているシンの写真に注目した。この時猪木は、「ナイフじゃなくどうせならサーベルでも咥えさせてみろ」と語ったという。
  • このような状況で1973年の5月、シンは初来日した。ただし、本来は同年7月からのシリーズに参戦する予定だったのが、新日本プロレス渉外担当者の手続きに間違いがあり、シンは二か月早く来日してしまった。
  • そこで同年5月4日、会場の川崎市立体育館の客席にシンを招いた。新日本プロレスにしてみれば、「手違いとはいえ、せっかく来日したのだから日本のプロレスを生で見てもらおう」という、シンに対する配慮だった。ところがこの日の山本小鉄対スティーブ・リッカード(英語版)の試合中、シンは突如乱入し、山本小鉄をメッタ打ちにした[2][37]。この時はターバンは巻いていたが、サーベルは持っていなかった。
  • この様子を見た猪木は目玉レスラーになると考え、急遽渉外担当に命じシンを一旦香港へ向かわせ、業務用ビザを受けた後に日本へ戻るよう指示した。その間新日本プロレスは前述の猪木案を実現すべく、日本国内でサーベルを手配し、日本に戻ってきたシンに与えた。ヒールとして日本で活躍することを望んでいたシンは、大いに喜んだという。
  • 既述の通りシンとスティーブ・リッカードは来日前から面識があったため、当初のシンはリッカードのセコンド役という位置づけだったが、その尋常ではない暴れっぷりに人気が集中し、シリーズ終盤にはついに対猪木との初シングル戦が実現した。
  • このような経緯を経て、ターバンを巻きサーベルを振りかざすという、タイガー・ジェット・シン独自のスタイルが確立されたが、当時の新日本プロレスは、「タイガー・ジェット・シンは勝手に日本に来た。決して新日本プロレスが招いたわけでは無い」との旨のギミックでシンを売り込んだ。このギミックについて当時のスポーツ新聞はシンを「謎の怪人」「狂人(後述する)」等と報道し、一応の成功を収めた。後に「インドの猛虎」「狂虎」といった表現に落ち着く。 

(以上、Wikipedia:タイガー・ジェット・シン より引用)

 

 

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ねこクッキー

前回の記事にいいねグッド!ありがとうございました

 

 

お別れはトーコの曲。

 

ブルー音符きっとまた見つかるよきっとまたきっとまた

 

最後までお読みいただきありがとうございました。