頭にあるものを吐き出すだけ吐き出して千秋楽を迎えるため、いろいろ書きました。演出や演技のことももっと書きたかったけど、ただでさえあまりにも長いので(笑)
まずは、世界線と時系列を整理しつつ、ざざっと振り返りなど。なので、ネタバレしかないです。ご注意願います。

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【1】9歳までの悠理(回想)
ひらめきと繋がっており、無意識(かわいいほうの僕)の悠理が両親と会話しているのを、芽生えた自我(かわいくないほうの僕)が俯瞰的に見ている。
自我の僕は初めは穏やかに見ているが、無意識の僕が両親に抱き締められた時に疎外感を感じている。
その頃から、自我によってひらめきや周辺世界と分断されてしまい引きこもり気味に。
湖で、
『溺死しない世界』は【2】
『溺死した世界』は【3】
【2】21世紀。キャンプ場① 18歳の悠理
14歳で杏に出会い、その恋は一時的に悠理と世界とを繋げるも、15歳で自らのクズ言動(責任を認識したくなくてこういう言動に走る人間の気持ちはわからんでもないが)により杏を失う。
この短時間の間に入れ換わり立ち代わり、無意識の僕と自我の僕、9歳、14-15歳、18歳、語り部としての僕の一本の軸で繋がった演じ分けがそれぞれ見事としかいえない。
両親の離婚、幼馴染たちとの別離を知り、常に出遅れてた彼にとって強烈な現実(置いてきぼり感)を受け止めることができないまま、思い出の中にしかいない杏の姿を追って逃げるように湖へ。

世田谷パブリックシアター『終わりのない』
主演/山田裕貴
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【1】9歳までの悠理(回想)
ひらめきと繋がっており、無意識(かわいいほうの僕)の悠理が両親と会話しているのを、芽生えた自我(かわいくないほうの僕)が俯瞰的に見ている。
自我の僕は初めは穏やかに見ているが、無意識の僕が両親に抱き締められた時に疎外感を感じている。
その頃から、自我によってひらめきや周辺世界と分断されてしまい引きこもり気味に。
湖で、
『溺死しない世界』は【2】
『溺死した世界』は【3】
【2】21世紀。キャンプ場① 18歳の悠理
14歳で杏に出会い、その恋は一時的に悠理と世界とを繋げるも、15歳で自らのクズ言動(責任を認識したくなくてこういう言動に走る人間の気持ちはわからんでもないが)により杏を失う。
この短時間の間に入れ換わり立ち代わり、無意識の僕と自我の僕、9歳、14-15歳、18歳、語り部としての僕の一本の軸で繋がった演じ分けがそれぞれ見事としかいえない。
両親の離婚、幼馴染たちとの別離を知り、常に出遅れてた彼にとって強烈な現実(置いてきぼり感)を受け止めることができないまま、思い出の中にしかいない杏の姿を追って逃げるように湖へ。
足が攣って、というかほぼ入水自殺めいて「自分の世界から逃げ出し」た。死にたいわけじゃないけど逃げたい、っていうライン、わかりみ。そして…
※悠理は『死』からも逃げていると言えるけど、人間生きてこそだと思ってるので、現実的には人間は死の情動だけからは逃げたほうがいいと思ってます。
【3】32世紀。惑星探査中に事故死したユーリの5人目のクローン
宇宙船内でマザー・ダン(超並列コンピューター的な集合的知性)と繋がっているダン02(端末)と出会う。ダンだからDN-02かな?
徐々に悠理としての記憶が戻ると『望まれないバグ』として宇宙空間へ廃棄される。
【2】の回想で、杏の流産に「正直ホッとした」り、重い事実を軽く取り繕いたくて酷い言葉を言ったりしていたクズ悠理や、杏の深い傷にはもちろん目が向くんだけど、あの胎児はこの悠理のように何も解らずこうやって一方的に棄てられたんだよなー…というのが重なってさ(流産以前に堕胎の話してるので)
悠理はその哀しさを自分の身を以て知ったはず。
少なくとも観客側で、このふたつの状況を重ねることができるシーンかと思う。
【4】シーフナス人のユーリ
【3】と同時代で、ブラックホールの先にあった銀河系の写しのような世界。エイ(日暮)の導きにより、神の声と自我を区別する以前の人間の姿に近いと思われるイプノスの民たちと出会う。
シーフナスの王子を騙るところはもう、書ききれない…あれでブログ三本書けるのでまた今度書く……
とにかくあれは全人類観といたほうがいいものです……観てください………
エイから21世紀の人類へメッセージを託され、イプノス人らは悠理を英雄とし、音楽という文化が生まれる。神と一体の時代から人間の文明の時代への推移。
【5】キャンプ場② 18歳の悠理(クズでない)
悠理にとっては理想的とはいえやはり自分の居場所のある世界ではないため、留まることを自ら拒否。
悠理はこういう『認められ悠理・愛され悠理』で在りたいわけでもないんだろうね。別に愛情に飢えて育ったわけじゃなくてむしろ愛されていて、ただ、なんていうか自分自身の重さを感じられずにいた子だな、と。
【6】11人目のクローン・ユーリ
【3】と同世界。ダン02に『二人きりで話をする』、ダンという個が自分に向き合ってくれることを要求。02は悠理の中にあるひらめきに触れ、母体から独立し自我を獲て独断で悠理を解放。
ここに2度と悠理が呼ばれないようにするため、探査チームにクローン実験を中止するよう直訴。このまま02は処分されるだろうが、探査チームの様子から実験は中止されると思われる。
【7】キャンプ場③ 18歳の悠理
【2】の悠理が『生存する世界』。ラストシーンへ。
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■そう、あの感じです、あの感じ。
芽生えた自我の表現が秀逸というか的確だなと。
一人で居るときより、他の人間たちと居るときのほうが『独り』を感じてしまう、あのどーしようもない自意識ってやつ。
かわいくないほうの悠理は、家族たちの手伝いをしようとしたり何か返事をしようとするのにも常に自意識が挟まるからいつも出遅れてしまう。
おずおずとやろうとしても先手を打たれ、手を引いたり言葉を呑み込んだりしている姿を見ると、彼は世界に無関心なんじゃなくて、むしろ注意深く目をキョロキョロさせてどうやればいいかと周辺をみているし、まさにいつもいつも「緊張している」から自然にできないんだなと。
やるのが面倒とかやりたくないという反抗でもない、自分なんかがやるよりももっと上手く速くできる人がいるし、逆に邪魔になるかもだし、でしゃばりとか言われたらヤダし…みたいに自意識で考えすぎてしまって出遅れて、どんどん世界に関われなくなっちゃうんだよね。
悠理のこの『世界を掴み損ねてる感じ』には、めちゃめちゃ共感します。
※ちなみに昔の山田氏には、わたしから見ててこの「流れに乗らなきゃといつも緊張している」感じってのがどっかあったなーなんて。
山田氏は出遅れるというより気を使いすぎて空回りになったりするタイプだったから、もちろん周囲にその真面目さや一生懸命さは十分なほど伝わってたけど、悠理の表情に当時の山田裕貴みを感じて懐かしくもなった、っていう余談。
■「生きててよかった」
探査員たちからユーリに向けられる愛情が、なんかすごい違和感あるの。あの「生まれた時に適性を決められて…」っていう32世紀のディストピア感がそうさせるのかなぁ。
いや、ユーリに対しての愛情や必要性は十分なほど(再生治療法に抵触しても実験を敢行するくらい)あるとしても、クローンだからなのかどこか見下げてたり、本当は嫌悪してるんじゃないかって対応に見える…
仮にユーリの再生が上手くいったとして、彼らがというより我々全般は、クローンに対して我々と同等の人権を認めるのみならず、『自分たちがつくったもの』みたいな意識をかけらも持たずにいられるのかな。
再生ユーリが今後もし彼らに望まれない言動をしても、きちんと『一個の人間』の変化や成長や挫折として向き合えるのだろうかとか、外見は同じでも中身が違うとしてまた「バグだ」って棄てるんじゃないかなとか、そんなことを考えてしまう。
イプノス人は逆に、敵の姿をしている悠理を少しずつ仲間と認識し、愛情を示し始める。
彼らがかけてくれた「生きててよかった」という言葉、本当に生きててよかったのもだけど、9歳の頃の自我の僕がすごく欲しがってた言葉でもあるもんなぁ。
だからそれを言われて、表情を変える悠理には胸が締め付けられるんですよね。
■やっと本題です。
で、その後の悠理が理想的といえる世界に留まろうとはしなかったり、ダンに対して個としての対話を要求したり、成長していくというか世界が曖昧になっていくのと反比例するようになんか現実感を持ちはじめてくるのよね。虚像だったのが実像になっていくというか、中身が入ってくる。
ONE PIECE
ひとつなぎの大秘宝
『一繋ぎ』というと、ひとつひとつの個の数珠玉が連なってひとつの輪になっているイメージなんですよね。
一方で『人繋ぎ』とも云われていて、一人一人が強く結び付いて仲間というひとつの輪になる。
まさに『個であり、全体である』…だと……?
普通にみんなにだいすきなONE PIECEを読んでもらいたくて、そして限られた時間の中で自分という人間をさらけ出したくて全巻担いでったと考えるじゃないですか。
いや、それでいいんですよ。
※悠理は『死』からも逃げていると言えるけど、人間生きてこそだと思ってるので、現実的には人間は死の情動だけからは逃げたほうがいいと思ってます。
【3】32世紀。惑星探査中に事故死したユーリの5人目のクローン
宇宙船内でマザー・ダン(超並列コンピューター的な集合的知性)と繋がっているダン02(端末)と出会う。ダンだからDN-02かな?
徐々に悠理としての記憶が戻ると『望まれないバグ』として宇宙空間へ廃棄される。
【2】の回想で、杏の流産に「正直ホッとした」り、重い事実を軽く取り繕いたくて酷い言葉を言ったりしていたクズ悠理や、杏の深い傷にはもちろん目が向くんだけど、あの胎児はこの悠理のように何も解らずこうやって一方的に棄てられたんだよなー…というのが重なってさ(流産以前に堕胎の話してるので)
悠理はその哀しさを自分の身を以て知ったはず。
少なくとも観客側で、このふたつの状況を重ねることができるシーンかと思う。
【4】シーフナス人のユーリ
【3】と同時代で、ブラックホールの先にあった銀河系の写しのような世界。エイ(日暮)の導きにより、神の声と自我を区別する以前の人間の姿に近いと思われるイプノスの民たちと出会う。
シーフナスの王子を騙るところはもう、書ききれない…あれでブログ三本書けるのでまた今度書く……
とにかくあれは全人類観といたほうがいいものです……観てください………
エイから21世紀の人類へメッセージを託され、イプノス人らは悠理を英雄とし、音楽という文化が生まれる。神と一体の時代から人間の文明の時代への推移。
【5】キャンプ場② 18歳の悠理(クズでない)
悠理にとっては理想的とはいえやはり自分の居場所のある世界ではないため、留まることを自ら拒否。
悠理はこういう『認められ悠理・愛され悠理』で在りたいわけでもないんだろうね。別に愛情に飢えて育ったわけじゃなくてむしろ愛されていて、ただ、なんていうか自分自身の重さを感じられずにいた子だな、と。
これまでの平行世界とも演出がまた異質で、18歳悠理が見ている夢なのか、32世紀の世界に属するのか、もしや悠理はもう死んでいるのでは…何か仕組まれてるのか…とかいろいろ怖くなるシーンが多いです。
なのでこれだけ世界が曖昧になると、逆に、もうこうなったら悠理の見たものを信じるしかないって気持ちになった。最初は悠理のほうがあんなに曖昧な存在だったのに(笑)
【6】11人目のクローン・ユーリ
【3】と同世界。ダン02に『二人きりで話をする』、ダンという個が自分に向き合ってくれることを要求。02は悠理の中にあるひらめきに触れ、母体から独立し自我を獲て独断で悠理を解放。
ここに2度と悠理が呼ばれないようにするため、探査チームにクローン実験を中止するよう直訴。このまま02は処分されるだろうが、探査チームの様子から実験は中止されると思われる。
【7】キャンプ場③ 18歳の悠理
【2】の悠理が『生存する世界』。ラストシーンへ。
-------------
■そう、あの感じです、あの感じ。
芽生えた自我の表現が秀逸というか的確だなと。
一人で居るときより、他の人間たちと居るときのほうが『独り』を感じてしまう、あのどーしようもない自意識ってやつ。
かわいくないほうの悠理は、家族たちの手伝いをしようとしたり何か返事をしようとするのにも常に自意識が挟まるからいつも出遅れてしまう。
おずおずとやろうとしても先手を打たれ、手を引いたり言葉を呑み込んだりしている姿を見ると、彼は世界に無関心なんじゃなくて、むしろ注意深く目をキョロキョロさせてどうやればいいかと周辺をみているし、まさにいつもいつも「緊張している」から自然にできないんだなと。
やるのが面倒とかやりたくないという反抗でもない、自分なんかがやるよりももっと上手く速くできる人がいるし、逆に邪魔になるかもだし、でしゃばりとか言われたらヤダし…みたいに自意識で考えすぎてしまって出遅れて、どんどん世界に関われなくなっちゃうんだよね。
悠理のこの『世界を掴み損ねてる感じ』には、めちゃめちゃ共感します。
※ちなみに昔の山田氏には、わたしから見ててこの「流れに乗らなきゃといつも緊張している」感じってのがどっかあったなーなんて。
山田氏は出遅れるというより気を使いすぎて空回りになったりするタイプだったから、もちろん周囲にその真面目さや一生懸命さは十分なほど伝わってたけど、悠理の表情に当時の山田裕貴みを感じて懐かしくもなった、っていう余談。
■「生きててよかった」
探査員たちからユーリに向けられる愛情が、なんかすごい違和感あるの。あの「生まれた時に適性を決められて…」っていう32世紀のディストピア感がそうさせるのかなぁ。
いや、ユーリに対しての愛情や必要性は十分なほど(再生治療法に抵触しても実験を敢行するくらい)あるとしても、クローンだからなのかどこか見下げてたり、本当は嫌悪してるんじゃないかって対応に見える…
仮にユーリの再生が上手くいったとして、彼らがというより我々全般は、クローンに対して我々と同等の人権を認めるのみならず、『自分たちがつくったもの』みたいな意識をかけらも持たずにいられるのかな。
再生ユーリが今後もし彼らに望まれない言動をしても、きちんと『一個の人間』の変化や成長や挫折として向き合えるのだろうかとか、外見は同じでも中身が違うとしてまた「バグだ」って棄てるんじゃないかなとか、そんなことを考えてしまう。
イプノス人は逆に、敵の姿をしている悠理を少しずつ仲間と認識し、愛情を示し始める。
彼らがかけてくれた「生きててよかった」という言葉、本当に生きててよかったのもだけど、9歳の頃の自我の僕がすごく欲しがってた言葉でもあるもんなぁ。
だからそれを言われて、表情を変える悠理には胸が締め付けられるんですよね。
悠理も家族や友人たちにそっくりな彼らに愛着を感じ、自ら生命を擲って彼らを救うの、わかる。
そういやイプノスの神様の声が、エイには聴こえないのに悠理にだけ聴こえてる場面があるよね。
愛情の伝達という意味で、原始→21世紀→32世紀の順に複雑ゆえに伝わりづらくなってしまっているってことなのかな、とも思ったりしました。
■やっと本題です。
で、その後の悠理が理想的といえる世界に留まろうとはしなかったり、ダンに対して個としての対話を要求したり、成長していくというか世界が曖昧になっていくのと反比例するようになんか現実感を持ちはじめてくるのよね。虚像だったのが実像になっていくというか、中身が入ってくる。
そこで一人の人間の成長の描写を通じた、人類の進化の描写でもあるこの話のラストシーン、悠理は、人間は本当に孤独になったのか? という(本題)
温もりに包まれて眠っていた頃のフワフワした悠理には、その肩にかかる重力もなかったのだろうと。
だけれどこの長い旅を終えた彼は、世界を知り、自分を知り、暴れ嘆き怒る。
初めて世界を『実感』した今、剥き出しのあらゆる感情がおそろしいまでの重力と現実感を纏いながら、これでもかと彼の心を引き裂くのだろうと思う。
なんかその泣き声が、わたしにはいつも『産声』に聴こえるんですよね。
臍の緒を失った赤ん坊が、これから肺呼吸で生きていくために力一杯泣いている。そんな風に。
実際、何度か観ているとあの時の悠理の胸に訪れているのは決まった感情ではなく、むしろあらゆる感情が溢れだして怒濤となっている。怒りで拳で床を殴りつける時もあれば、懺悔するように両手で顔を覆う時もあり、猛々しく吼えるような絶叫の時もあるし、孤独感に怯えてピーピー泣いてる時もある。
俳優の中に降りてくるその時の、その回の『悠理』の感情を、剥き出しのまま表に出してくるのだろうと思います。
あらゆる感情があるから、観客がその時にいちばん強く心に秘めているものを引きずり出して、ある人は『嘆き』と受け取り、またある人は『恐怖』と受け取り、きっとそれがどれも正解になっているのかなと。
どんなに泣いても、アテネの差し伸べる手はもう届かない。
だけど誰一人、悠理を疎外しようとしたり、悠理から目を逸らす者はいない。
悠理が自分で立ち上がり、歩き出すのを、温かく慈悲深い眼差しで待ってくれている。名前を呼んでくれている。
悠理は泣き止み、自ら涙を拭って立ち上がり、「ありがとう。もういいよ」と述べる。その言葉を聞き、みんな静かに去っていく。
一人きりになった悠理の最後の言葉は。
これは
ぼくの、
(大きく横に首を振る)
人類の物語だ。
終わりのない───
この首を振る仕草が、まだ悠理はそれを自らに言い聞かせるようにみえるところが、わたし結構すきです。
なんとかやってみせるよ、と、決意せざるを得なかった人のそれのようで。
その、まだ残る戸惑いこそが、この『取るに足らない、しかし、かけがえのない』一人の英雄を等身大だと感じさせてくれる気がするんですよね。さっきまでタダ乗り野郎だったのに、そんないきなり悟れんからね(笑)
ここ、初日あたりは首を振らなかったと思うんですよ。
温もりに包まれて眠っていた頃のフワフワした悠理には、その肩にかかる重力もなかったのだろうと。
だけれどこの長い旅を終えた彼は、世界を知り、自分を知り、暴れ嘆き怒る。
初めて世界を『実感』した今、剥き出しのあらゆる感情がおそろしいまでの重力と現実感を纏いながら、これでもかと彼の心を引き裂くのだろうと思う。
なんかその泣き声が、わたしにはいつも『産声』に聴こえるんですよね。
臍の緒を失った赤ん坊が、これから肺呼吸で生きていくために力一杯泣いている。そんな風に。
実際、何度か観ているとあの時の悠理の胸に訪れているのは決まった感情ではなく、むしろあらゆる感情が溢れだして怒濤となっている。怒りで拳で床を殴りつける時もあれば、懺悔するように両手で顔を覆う時もあり、猛々しく吼えるような絶叫の時もあるし、孤独感に怯えてピーピー泣いてる時もある。
俳優の中に降りてくるその時の、その回の『悠理』の感情を、剥き出しのまま表に出してくるのだろうと思います。
あらゆる感情があるから、観客がその時にいちばん強く心に秘めているものを引きずり出して、ある人は『嘆き』と受け取り、またある人は『恐怖』と受け取り、きっとそれがどれも正解になっているのかなと。
どんなに泣いても、アテネの差し伸べる手はもう届かない。
だけど誰一人、悠理を疎外しようとしたり、悠理から目を逸らす者はいない。
悠理が自分で立ち上がり、歩き出すのを、温かく慈悲深い眼差しで待ってくれている。名前を呼んでくれている。
悠理は泣き止み、自ら涙を拭って立ち上がり、「ありがとう。もういいよ」と述べる。その言葉を聞き、みんな静かに去っていく。
一人きりになった悠理の最後の言葉は。
これは
ぼくの、
(大きく横に首を振る)
人類の物語だ。
終わりのない───
この首を振る仕草が、まだ悠理はそれを自らに言い聞かせるようにみえるところが、わたし結構すきです。
なんとかやってみせるよ、と、決意せざるを得なかった人のそれのようで。
その、まだ残る戸惑いこそが、この『取るに足らない、しかし、かけがえのない』一人の英雄を等身大だと感じさせてくれる気がするんですよね。さっきまでタダ乗り野郎だったのに、そんないきなり悟れんからね(笑)
ここ、初日あたりは首を振らなかったと思うんですよ。
「そして」的な言葉で繋げてたような。でも4日とか、8日に観劇したときには、ここの表現がかなり強調されてきてた気がしたんですよね。
確かに人間は自我の発生した瞬間から神様と分断されたものの、それこそが文明を生み出し発展を促したし、一方で闘争や自然破壊を止めることができない。
もはや全を食いつくし単なる個として生き延びることも、個をなくし全体に戻ることもできない。
だけど我々はもともと『個であり、全体である』ことに気づけたなら?
夫婦にしろ、幼馴染にしろ、自分のやりたいことを貫くため一緒にいられないとしても、それは孤独とは違う。
独立した自我単位では独りぼっちの世界だけど、そんな独りぼっちたちは『人類』という大枠の中で、対話を要求したり、誰かに伝えてくれよと願ったり、名前を呼んだり、相手が生きていることを喜んだりと、さまざまな方法で繋がれる。
独りぼっち(個)だけど
みんな(人類)がいる
人間存在の二重性に気づき、それを終わりなく維持していくこと。
古の時代に神様から切り離された人間たちの、これからの生きる道を示唆するようなラストシーンだったように思いました。
■尚、ここまでも妄想でしたが、ここからも妄想です。
ところで山田裕貴氏は、稽古場と劇場に『ONE PIECE』を貸し出しとして差し入れたようですが、
確かに人間は自我の発生した瞬間から神様と分断されたものの、それこそが文明を生み出し発展を促したし、一方で闘争や自然破壊を止めることができない。
もはや全を食いつくし単なる個として生き延びることも、個をなくし全体に戻ることもできない。
だけど我々はもともと『個であり、全体である』ことに気づけたなら?
夫婦にしろ、幼馴染にしろ、自分のやりたいことを貫くため一緒にいられないとしても、それは孤独とは違う。
独立した自我単位では独りぼっちの世界だけど、そんな独りぼっちたちは『人類』という大枠の中で、対話を要求したり、誰かに伝えてくれよと願ったり、名前を呼んだり、相手が生きていることを喜んだりと、さまざまな方法で繋がれる。
独りぼっち(個)だけど
みんな(人類)がいる
人間存在の二重性に気づき、それを終わりなく維持していくこと。
古の時代に神様から切り離された人間たちの、これからの生きる道を示唆するようなラストシーンだったように思いました。
■尚、ここまでも妄想でしたが、ここからも妄想です。
ところで山田裕貴氏は、稽古場と劇場に『ONE PIECE』を貸し出しとして差し入れたようですが、
盛 隆二@moriryuji
13日目。アラバスタを後にして空島を目指す。#終わりのないは関係ない#山田裕貴が全巻担いで持ってきた#ワンピース#どハマり#このマンガの食事シーンが大好き https://t.co/5YIreMfAoO
2019年11月11日 16:25
ONE PIECE
ひとつなぎの大秘宝
『一繋ぎ』というと、ひとつひとつの個の数珠玉が連なってひとつの輪になっているイメージなんですよね。
一方で『人繋ぎ』とも云われていて、一人一人が強く結び付いて仲間というひとつの輪になる。
まさに『個であり、全体である』…だと……?
普通にみんなにだいすきなONE PIECEを読んでもらいたくて、そして限られた時間の中で自分という人間をさらけ出したくて全巻担いでったと考えるじゃないですか。
いや、それでいいんですよ。
ほら、終わりのないは関係ないって、盛さんも仰ってますし。
でもなんか不思議な符合だなと。
山田裕貴氏をみていて、こういうことを何度も何度も感じるんですよね。結構ガチめに。
たぶん『無意識のひらめき』ってのを、本当に持っている人なんだろうなって思います。
