学生番号88の雄叫び −徒然映画レビュー−

学生番号88の雄叫び −徒然映画レビュー−

いい映画、わるい映画、面白い映画、つまらない映画
というよりは、何であれ一言申したい映画をのほほんと感想投稿します

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スパイダーマン: スパイダーバース

評価  ★★★★★

好感度 ★★★★★

 
 

日本版ポスター

 

海外版ポスター

 

 

予告

 

 

 

 

【あらすじ】

ニューヨーク・ブルックリンの名門私立校に通う中学生のマイルス・モラレス。実は彼はスパイダーマンでもあるのだが、まだその力をうまくコントロールできずにいた。そんな中、何者かによって時空が歪めらる事態が発生。それにより、全く異なる次元で活躍するさまざまなスパイダーマンたちがマイルスの世界に集まる。そこで長年スパイダーマンとして活躍するピーター・パーカーと出会ったマイルスは、ピーターの指導の下で一人前のスパイダーマンになるための特訓を開始する。(映画.comより)

 

 

 

 

 

 

 

色んな次元のスパイダーマンが集結するという原作でもかなりぶっ飛んだエピソード「スパイダーバース」がアニメーション作品としてついに映画化。アメリカ本国では高評価の嵐で映画賞も総なめにしているこの映画を幸運にもIMAX3D試写会に行く機会を得たのでいち早く見れた!というわけで一足お先に「スパイダーマン: スパイダーバース」のレビューです。

 

というわけでいきなり結論から言うと…

文句のつけどころがない傑作だった!!!!

 

色んなスパイダーマンが渾然一体と現れるというぶっ飛びエピソードを上手く2時間にまとめているというだけでも凄いんですけど、この作品そんな程度で済ませる気は全くない。色んな角度、色んな切り口から見ても尋常ならざるクオリティで、兎にも角にも面白い。おそらく老若男女、アメコミ好きorビギナーに関わらずどんな人にも楽しめる作品になってると思います

しかも偉いのは、完成度の高いお利口さんの優等生になってもいいところを基本くだらないギャグが行き交うコメディとして作り、映像面など攻めるところはとことんまで攻めるという姿勢も好感が持てます

 

それもそのはず。今作の監督さんはボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマンの3人クレジットされていますが、ごめんね全然ピンとこない。ピーター・ラムジーさんは時折いい評判を聞く「ガーディアンズ 伝説の勇者たち」という作品(まだ未見です…)を監督していますが、あとの二人はこれが初監督。しかし、脚本にフィル・ロード。プロデューサーとしてもフィル・ロード&クリス・ミラーの名前が!

「21ジャンプ・ストリート」「22ジャンプ・ストリート」の爆笑潜入捜査ものから大大大好きな作品「LEGO ムービー」などの監督フィル・ロード&クリス・ミラーの一派が作った作品。そりゃいいに決まってるわ。

 

この二人の作風はメタ、パロディ、風刺から心底くだらないギャグまでありとらゆるものを映画に詰め込む。その頭パンパンになるような情報過多な物語を圧倒的な脚本と演出力でとても見やすく整理して、最後には予想だにしなかった、でも同時にスッと腑に落ちるような着地を見せる。しかし、一番信頼おける部分は題材に対して真っ正面からとことん徹底的に向かい合う姿勢なんです。例えばLEGOを題材に映画を作れと無理難題を言われた時に逃げに走るのではなく、まず正面からLEGOとはなんなのか、その本質を掴むまでとことんまで考える。その確固たる基盤の上で作品を作っていくからその作品に感動する。

そういった点から若手の中では一番大好きで信頼を置いているコンビなのです。

 

物語の感想に入る前に映像面でいくつか。

まず絶対的に3D、そして出来ればIMAXを推奨。基本的に2次元のものであるアニメーションで、この作品は奥行きを効果的に使ったり、あえて平面感を強調したりするシーンが多いです。それを堪能するにはやっぱり3D。

そして、今回3Dをとても面白い使い方をしているのでそこも必見。手前に焦点を合わせて、それ以外はボカすフォーカスがアニメでは中々難しいのですが、それをそういう手があったかという形で表現してます。最初こそ戸惑いますが、慣れると作風にもピッタリ!

 

アニメで作る上で、実写では絶対にできないコミックをそのままトレースしたような表現も随所に見られます。しかしそのバランスがとても素晴らしい。スパイダーマンが危険を察知したり、超人的能力を発揮するスパイダーセンス。このスパイダーセンスが発動する瞬間だけ決め絵のようにコミック表現も発動する。それがなんともカッコよく、演出的にもしっかり意味を持っていて上手いな〜って思わされる。他にもアメコミのやたらと独白セリフが多いってのをギャグにした四角吹き出し描写なんかも最高です。

 

 

さらにこだわりすぎだろって点でいうと、よーく見たら肌とか物に点々みたいなものがたくさん見える。これ、昔のアメコミ雑誌の印刷が近づいてみると点々に見えたその質感を映画全体に再現している。凝りすぎだろ…。また色んな次元のスパイダーマンそれぞれのノワールの世界だったり、滲んだ水彩画のような世界だったり、日本のマンガっぽい世界だったりの表現も見事で映像をボーッと眺めるだけでも高密度でお腹いっぱいになっちゃいます。

 

 

 

今回の主人公はスパイダーマン=ピーター・パーカーではなく、マイルス・モラレスという黒人の青年。ピーターとは別のもう一人のスパイダーマン。彼は原作の方ではかなり認知され始めていて、昨年発売されたPS4のゲーム版「スパイダーマン」でもメインキャラとして登場したのでご存知の方も多いかも。今作ではこの少年がスパイダーマンになるまでのオリジンを描く。しかし一筋縄ではいかず、他の次元から4人のスパイディが現れるから話がどこに転がっていくのかさっぱり見当がつかない。

 

中年になって人生に生き疲れた様子のおっさんピーター・パーカー=スパイダーマン

ピーターの代わりにクモに噛まれ、代わりにスパイディをやってる世界線のグウェン・ステイシー=スパイダーグウェン

1933年のハードボイルドでモノクロの世界で私立探偵をやっているスパイダーノワール

未来からやってきてクモに噛まれたおかげでメカスーツとシンクロするようになったペニー・パーカー

みんなが二頭身の昔ながらのアメリカン・カートゥーンの世界からやってきた豚さんスパイダーハム

 

 

 

この生きる次元も違えば、その作風も絵柄もルールさえも全く違うスパイディたちが一挙集結する。まだピーターやグウェンは実世界よりだからいいけど、ノワールは白黒だし、ペニー・パーカーは日本のマンガっぽい絵柄、スパイダーハムに関しては二頭身のブタだぜ?こいつらが同じ世界で会話したり、アクションシーンでは各々の戦い方でヴィランたちをやっつけるから控えめに言ってもカオスなことになっている。

しかし映画として見ずらいかと言われると全く別問題。

 

短い時間で各スパイディの特徴や個性、抱える葛藤などを描き出す手腕は流石ですけど、この4人のスパイディと見習いたちの姿を通していくと“スパイダーマン論”のようなものが浮かび上がってくる。

スパイダーマンはなぜ戦うのかを徹底的に考えると、スパイダーマンの本質は“喪失”の物語であるということがわかる。彼らの動機は自分が救えた命を救えなかったという後悔に端を発している。スパイダーマンの中心に据えられた有名な言葉で『大いなる力には、大いなる責任が伴う』というのがあります。ヒーローの美徳のようにも捉えられがちだが、それを課せられた本人たちにとっては呪いでもある。スパイダーマンたちは常にその責任を背負って生きていくのだ。

 

マイルスはスパイダーマンが抱える重責と直面する。それでもスパイダーマンのマスクを被るのか。

 

一方で中年ピーター・パーカーはマイルスと師弟に近い関係になっていくがこのキャラクターがなんとも味わい深い。これからヒーローになろうとしている少年の第一話の反対に、このピーターの姿はヒーロー生活を続けた人間の成れの果てだ。MJとは離婚し、メイおばさんは死に、それでもスパイダーマンとして街の平和は守らなきゃいけない。このピーター・パーカーが直接は示されないが3で打ち切りになってしまったサム・ライミ監督版「スパイダーマン」のピーター・パーカーのその後ともとれる描かれ方になっているのがドンピシャ世代としてはさらに胸を締め付けます。

このピーターにとっては後進のスパイダーマンを育てることに喜びを見出しながらも、この修羅の道に引き込んでいいものかと迷いもある。

 

他のスパイディたちにもそれぞれの葛藤がある。しかし孤独な戦いを強いられてきた彼らが無茶な展開の中で巡り会い、次第に共鳴し始める。作り手たちの「せめてこのぶっ飛んだ世界=映画の中だけでも、スパイディたちの孤独を和らげてあげたい」という愛と優しさが垣間見えるようでその交流も涙なしでは見られない。

 

そしてマイルスは決断を下すのか。この決断はただ「ヒーローになるか否か」というだけでなく、「偉大なるスパイダーマンたちの歴史の上に自分は立てるのか?その資格はあるのか?」という問いでもある。これは別にマイルスだけのものではなく、この映画を見た俺たち、他のヒーロー映画でもいいし、全然違うジャンルや媒体のものでもいい。それに感銘を受けて、憧れて、ああなりたいと思った人たち全てに行動を起こせるのか?一歩を踏み出せるのか?という問いでもある。

だからこそ、マイルスの苦悩は自分のことのように刺さるし、決断の先にある景色はなんとも素晴らしい!

 

 

作品全体を通して、あらゆる面で高密度で驚異の完成度。

でありながら、くだらないギャグが飛び交い、超楽しいアクションシーンもあって、老若男女、アメコミファンもビギナーも楽しめる一本になってました。そしてこれまでのスパイダーマンの歴史に愛と尊敬を持って作っている、スパイダーマンについての映画であり、スパイダーマンの物語にしっかりなっている。文句のつけどころがない!!!!!

 

 

 

 

 

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スパイダーマン: スパイダーバース

Spider-man: Into The Spider-Verse
2018年/アメリカ/117分
監督 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン
脚本 フィル・ロード
 
キャスト
シャメイク・ムーア (マイルス・モラレス/スパイダーマン)
ジェイク・ジョンソン (ピーター・B・パーカー/スパイダーマン)
ヘイリー・スタインフェルド(グウェン・ステイシー/スパイダーグウェン)
ニコラス・ケイジ (スパイダーノワール)
 
 
 
 

 

 

原作↓

 

 

 

 

 

 

 

過去シリーズ↓

 

 

 

 

ゲーム↓

 

 

 

 

 

 

 

メリー・ポピンズ リターンズ

評価  ★★★★☆

好感度 ★★★★★

 

 

 

 

 

 



《あらすじ》

大恐慌時代のロンドン。バンクス家の長男マイケルは今では家庭を持つ父親となり、かつて父や祖父が働いていたロンドンのフィデリティ銀行で臨時の仕事に就いていた。しかし現在のバンクス家に金銭的な余裕はなく、さらにマイケルは妻を亡くしたばかりで家の中も荒れ放題。そこへ追い打ちをかけるように、融資の返済期限切れで家まで失う大ピンチに陥ってしまう。そんな彼らの前に、あの「ほぼ完璧な魔法使い」メリー・ポピンズが風に乗って舞い降りてくる。(映画.comより)





名作「メリー・ポピンズ」の54年ぶりの続編。前作が大好きなだけにかなり不安の多い作品ではあったのだが、蓋を開けて見れば大満足!お手本のようにいい続編になっていた!



 

事前の不安要素だったのは、まず今更メリー・ポピンズ…?というところ。そして昨今のディズニー実写映画部門の風潮がどうも苦手だから、そういう感じになるのは嫌だなあという点だった。

もちろん54年も経っていればジュリー・アンドリュースの続投はまあまず無理だろうし、メリー・ポピンズは今の目にも面白いがそれが現代に見ても古びない魅力かと言われれば微妙な作品。どちらかといえば往年のミュージカル全盛期の空気と往年のディズニー・アニメーションの魅力の詰まった良くも悪くもクラシックな作品だ。それを21世紀になって20年近く経った今、再度映画化したとて懐古趣味になっちゃうだけなんじゃないか…?とい懸念が第一。

 

そしてもう一つの懸念であるディズニー実写部門の傾向。ディズニーの抱える名作たちを実写リメイク、あるいは続編という形をとって実写化する動きが見られるがどうも毎回違和感を覚える。往年の名作を現代の感覚で再解釈という銘を打っているのだが、つまりはポリティカリー・コレクトネスに十分配慮して名作を作り直すというものである。もちろんポリコレに配慮するというのは今映画を作る上で重要事項で、同じディズニーなどでも「ズートピア」などはポリコレ的に正しいことがそのままエンターテイメントに直結するという化け物のように良くできた作品もある。しかし、実写部門で量産されるそれらの映画は画面も暗く、内容も説教くさいものがほとんど。「ズートピア」の逆説で、ポリコレ的に正しいことそのものはエンタメに直結せずそれを面白く見せることは最も難しいことだ。ポリコレに則ったから現代的なんていう浅薄な発想に大好きな「メリー・ポピンズ」を汚されたくなかった。

 

だが、結果的には前述の通り素晴らしい続編だった。実写と二次元アニメーションの融合は前作でもやっていたことだが、最先端のCG技術があってこその映像表現になっている。また今回は前作よりもロンドンの街の色々な側面を見せる。これもCGがあったからこそだ。


一方でバスタブの中に跳びこむシーンなどはバスタブに滑り台を繋げて撮影しているなど映画の裏側にもワクワクするような仕掛けが使われており、映像面では程よく実物っぽさとCGっぽさのチューニングがなされている。




 


そしてなによりも天晴れ!と言いたくなったのは台詞回しと歌詞!今回の台詞と歌詞のほとんどがことごとく韻を踏んでいる。最早ラップだ!劇中でも尺が足りないから早めに歌えと言われたらラップになっちゃったというギャグがあったが、スローバラードの曲であっても歌詞の構造はラップに近い。別に往年のミュージカル映画にラップを持ち込んでいるから偉いとかそういうことでもない。むしろ、この作品にもっと露骨にヒップホップな曲が入っていたっとしたら下品と感じたくらいだろう。しかし、このラップのような歌詞は元々メリー・ポピンズという作品が持っている部分であるということが大事なのだ。

 

「メリー・ポピンズ」や「ふしぎの国のアリス」といったイギリス児童文学やその映像化作品を見ると“言葉遊び”というのが大事にされているのがわかる。そして映像化にあたってディズニーはその“言葉遊び”の愉快さをできる限り映画にトレースしようとしていた。そのためのミュージカルでもある。だから「ふしぎの国のアリス」は吹き替えより字幕で見ると色々なものがダジャレのような韻の繋がりで名付けられているのがよくわかると思う。メリー・ポピンズという作品がそもそも持ち合わせている“言葉遊び”が今でいうラップやヒップホップの文化と非常によく似ている。というよりは、ラップも元は“言葉遊び”に違いはない。だからこそ、いかにもメリー・ポピンズらしいクラシックな曲にほとんどラップに近い歌詞をあてても違和感はなく、むしろさらにしっくりくるくらい。だから、平原綾香がメリーをする吹き替えもあれはあれで良さそうだが、そういった言葉遊びを楽しむためにもまずは字幕で見ていただきたい。

 

これこそが現代的再解釈じゃないか?その作品を捻じ曲げて、時には改変してまで現代の倫理規範に迎合するよりも、その作品がそもそも持っている現代に通ずる部分を見つけてそこを伸ばしていく。それをするには作品と真摯に向き合わなければならないが、それこそ続編を作る上で最重要プロセスだろう。結果として、この「メリー・ポピンズ リターンズ」は懐かしさもあるが間違いなく今の映画になっている。

 

最後にもちろん特筆しなければならないのはエミリー・ブラントだろう。ジュリー・アンドリュースの優しさやチャーミングさは減退したものの、凛々しく、厳しさも兼ね備えた女性として2代目メリー・ポピンズにピッタリだ。これを見たら、今活躍している女優さんだと彼女以外考えられない。




またそのメリー・ポピンズが子供たちに直接答えを教えるのではなく、答えの導き方を教える。彼女自身は道の歩き方こそ教えるが行先は子供たちに委ねるという点。そして彼女が真に救いにきたのは子供たちではなく父親である点(この部分は、「メリー・ポピンズ」が作られるまでを描いた「ウォルト・ディズニーの約束」を合わせてみるとさらに泣ける)など前作の核とも言える部分はちゃんと継承している。

そして前作にも出てきたあの人が出てくるというわかりやすいファン向けサービスの他に、クライマックスで事件解決の決め手になるのが、前作であったなんてない行動にあること。しかし同時にそれを辿って考えると、それもまたメリー・ポピンズが教えてくれたことの結晶でもあり、かつて子供だった姉弟たちが起こした奇跡でもあること。かつてメリーに教わり、子供時代に選んだ道が大人になって自分たちを救ってくれる。二作並べてみると、とても綺麗な着地と言える。

 

今までディズニーの実写化作品に感じていた不満がこの作品を見るとよくわかった、下品なんだ。現代的正しさのためなら作品自体を捻じ曲げるというのは下品極まりない。だが、この「メリー・ポピンズ リターンズ」は上品だ。オリジナルを尊重しつつ、その作品の現代にも通ずる良さを伸ばす。これこそが上品で良い続編だ。

 

 

 

 

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PSYCHO-PASS サイコパス Sinner of the System Case.1 「罪と罰」

評価  ★★★☆☆

好感度 ★★☆☆☆

 

 

 

 

 

 

2014年の劇場版から5年ほど音沙汰がなかった「PSYCHO-PASS サイコパス」の最新作がついに劇場公開。しかも今回は三部作で1作ずつ2週間の限定公開だと言う。アニメシリーズの二期も見たし、劇場版もちゃんと映画館で見てはいるが、ファンと言うほどファンでもないシリーズ(面白いとは思ってるけどね)だから見るか見まいか…。見たら最後、三作見なきゃいけないしな…

 

そんな風に考えていたらあっという間に2月14日、明日からもう2作目の公開が始まっちゃう!しかも今日はTOHOシネマズデイで1100円で見れるらしい!との情報を得て、見るだけ見とくかと滑り込みで鑑賞。

映画館に入ると最終日ということもあってか、ほぼ満員の客入り。やっぱりこのシリーズ人気あるんだな〜と思う反面、最近アニメ映画で見られるこの上映形式の悪どさも目についた。

 

一時期はちょっとはアニメも見ていたが(サイコパスはちょうどその時期に見ていた)、最近はもっぱらTVアニメは見なくなってしまった部外者からの意見として聞いて頂きたいのだが、ここ数年の間でこの3作ほどの映画を2週間限定公開という上映パターンをよく見るようになった。どうもその内実はTVアニメシリーズの総集編+新映像や、完全新作でも今回のサイコパスのように尺が短かったりが多いようだ。今日の映画館の様子からして、やはりその作品のファンは数年ぶりの新作ならば新映像が少しでも、尺が短くてもそれを見るために駆けつける。その気持ちはアニメはそこそこだが、映画好きではある自分としても良くわかる。しかし、作り手側としては1本の作品を作るくらいの制作費で大人一人頭1800円×3=5400円の利益を生み出せるということになる。

 

あの大入りの劇場を見ていると需要と供給が一致はしているようだからそれはそれでいいのかもしれないが、ファンの作品への愛を利用して搾り取れるだけ金を搾り取ろうとするこの方式は自分としては不誠実さを感じてしまう。もしかしたら続編を作るためにはそれくらいしないとペイできない…という苦渋の判断だったりするかもしれず頭ごなしに否定はできないところもあるが、これで普通の映画と同じ料金取るのはないぜ、というのが率直な感想である。

 

そもそも作品以外のところで文句を並べてきたが、尺は59分と短く不満はあるが内容としてはかなり真摯に作っていて好感を持てた。この三部作は一作品ずつに各キャラクターに焦点を当てたエピソードが描かれるということになっていて、一作目は霜月管理官と宜野座執行官の二人が主人公になっている。だから、もし1作目を見逃してしまったから2、3作目見れない…と嘆く必要はない。一本ずつで独立しているため、多分支障はない。

 

宜野座は一期から登場している数少ない現役キャラということもあって、そのドラマは今までにかなり深掘りされているが、この霜月というキャラクターを主人公に据えるというのは事前からの楽しみだった。というのも、この霜月というキャラが最も興味深い人物であり、そのせいでどれだけ二期にイライラさせられたか!

シビュラシステムという高性能人工知能が世界を司り、犯罪を起こすリスク=犯罪係数を測定して未然に犯罪を防ぐというのがこのシリーズの基本設定。映画だと「マイノリティ・リポート」などが連想されるが、あの作品は数人の預言者の手によって予言された未来から犯人を逮捕する一方、AIによる予測で捕まってしまうという点でディストピア度合いは増している。

 

一期の主人公だった狡噛はそのディストピアを否定しドロップアウトし、二期の主人公に格上げになった常守はその意思を継承しつつも、その社会を生きる者としてある程度の距離感を持った客観的な位置に身を置いている。一方でこの霜月というキャラクターは完全にシビュラシステム下の社会で生きており、シビュラが裁くことは当たり前であるという思考がベースとなっている。シビュラシステムについて保守的な存在なのである。だからこそ、シビュラシステムを否定的に見ている観客からすると、このキャラには心底イライラさせられる。しかし、この世界ではむしろ彼女の方が普通なのだ。

 

彼女を主人公に置き、そのキャラクターを深めることで彼女は彼女なりにこの世界で生きる中なりの正義がはっきりとあることを見せていってくれる。この作品単体で見ると「そもそもシビュラの存在を許容するのが間違いなのでは?」とも言いたくなるが、今までの流れ、そして霜月というキャラを語る上ではとても面白い。また、結末をシビュラに疑問を抱くなどの安易なところにおかず、シビュラ社会で生きているキャラなりの筋を通すというところに置いたのも好印象だった。

この三部作がファンに向けてキャラクターをさらに深掘りする方向で作られているのはこの作品を見るかぎりよくわかったし、それならあと二作も見たいとも思った。とはいっても、やはりTVアニメシリーズの1話が少しボリュームアップしたくらいの味わいではあり、映画館でわざわざ1800円払うハードルをクリアしているようには思えない。

 

 

 

 

 

 

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