明確な人間の特徴とは何だろう?  

 

私たちはなぜ万物の霊長なのだろうか?私達と他の動物を区別するものはなんだろうか? 

 

私たちと最も近い血縁はチンパンジーだ。私たちはチンパンジーと99%DNA を共有している。驚くべきことに、共有している割合はニッポンマカクのようなサルとチンパンジーの間でよりさらに小さくなっている。一般的に、サルとは異なるが、チンパンジ ー、ゴリラ、オラウータンは、類人猿のカテゴリーに属す。チンパンジーとゴリラは実 際私たち人間のようにヒト科に分類されるのだ!彼らに表面上(外見上)見えるものは、 彼らは、サルよりもより人間に見えるということだ。私たちが考える傾向にあるよりも、 彼らは近い親類だ。

 

しかし、どんなチンパンジーも、運転できないし、パソコンや携帯電話も使えないしビジネスでほかの国へと飛ぶこともできない。いつ私たちの道は分かれたのか?私たちは いつ「人間」になったのか? 

 

私たちの祖先が他の類人猿の種とは一線を画したものとして原人になったのはおよそ 700万年前だ。この後、ホモ・ハビリスや、ホモ・エレクトス、ホモ・ネアンデルターレンシスなどのさまざまな種が出現したことが知られている、しかしホモ・サピエンスのみが生き残った。

 

6私たちの初期の起源には二つの説がある。アフリカ単一起源説は近代のホモ・サピエンスは20万年前にアフリカで最初に出現し、そこから広がり、徐々に、他のホモ・サピエンスと入れ替わったと提案している。一方、多地域進化説のモデルでは、ホモは過去 200万年にわたって連続的に進化してきた唯一の世界的な属であるべきだと提案し ている。現在、アフリカ単一起源説の証拠が支持を受けているように見える。ユーラシ ア、東南アジア、オセアニアでの人の DNA の実験で彼らはすべて同じミトコンドリア の DNA の系統を引いていることが証明された。

 

およそ700万年前、私たちの祖先は森から歩いて出た。彼らはチンパンジーやゴリラ のように四つん這いになって歩いていたに違いない。アウストラロピテクス・アファレンシスの化石は類人猿の肩の構造を持っていて、それは、彼らは完全に二足歩行ではな いと考えることを合理的にした。彼らは多分半分を陸地で、半分を木の上で生活していた。

 

初期の猿人が森から歩いて出て、すぐに平らなサバンナで生活し始めたと考えることは 間違ったイメージだ。ケニアで発見されたおよそ600万年前の原人の化石は象や雄牛、 川獺、蛇、魚、クロコダイルや、カバなどの様々な動物の化石のそばで出現した。これは初期の猿人は様々な地理学上の特徴を持った地域(湖、川、沼地、サバンナ、森)で 生活していたことを示唆している。

 

およそ 500 万年の間、進化は停滞していたように見られる。しかしおよそ180万年前、 新たな種が出現する。ホモ・エレクトスだ。北京原人やジャワ原人はこのカテゴリーに 属する。

 

 原人と猿人を分けた一つの主な特徴は脳の収容能力だ。猿人はたった500gの脳しか 持っていなかったが、原人は平均的にこれのほとんど2倍の900gの脳を持っていた。これはより多くの肉を食べた結果であると考えられる。また、彼らは運んだり、投げたり、より狩りや物を集めるのを長けるようにすることのような他の目的のために彼らの 手は解放され、完全に二足歩行になった。彼らは私たちのような今の人であった。別の 特徴は移動性だ。猿人はアフリカにとどまっていたが、一方で原人はヨーロッパやアジアに移住し、中国やジャワのような遠く離れた場所で新しい家や新しい人生の生き方を 発見した。

 

およそ60万年前、ネアンデルタール人のような原人の中にはより大きな脳を発達させ、 新しい種となったものもいた。彼らはナイフのような石器や狩りのための槍を作ること ができた、また文化のヒントとして死者を埋める習慣があったことが示されていた。スーツを着れば,彼らはまるで現代の人間のように見えたかもしれない。しかし、彼らの移 動性は限られていた。

 

ネアンデルタール人はドイツにあるネアンデルタール渓谷で発見されたのでネアンデルタール人と名付けられた。彼らの骨から採取した DNA を分析することによって、系 統樹は、ホモ・サピエンスは20万年前にアフリカが先祖の種から進化し、一方、ネアンデルタール人が60万年前に進化したことが確立したと描かれていた。それは、ネア ンデルタール人は私たちの直接の先祖ではないことを意味している。しかし、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人共通の先祖であるホモ・ハイデルベルゲンシスから進化 した。アフリカにとどまっていた原人はホモ・サピエンスへと進化した間に、ホモ・ハイデルベルゲンシスから進化した、ヨーロッパへ移住した子孫はネアンデルタール人になった。

 

現代の人間(中国人、ヨーロッパ人、日本人)はアフリカが起源の共通の先祖が由来である。

 

ホモ・サピエンスはおよそ4万年前にヨーロッパに到着した、また 3 万年あたりで、ネアンデルタール人は絶滅した、それはホモ・サピエンスとネアンデルタール人はしばらくの間一緒に存在していたことを意味している。

 

ネアンデルタール人は身体的に大きく、強かった。彼らの筋肉は素晴らしく、動物の皮 を引き裂いたり、狩りをするのに役立っていただろう。そして、彼らの脳の収容能力は 現代の人間の脳よりも大きかった。なぜ彼らは絶滅したのか?なぜ私たちは生き残ったのか?

 

研究者の中にはホモ・サピエンスが身体的に劣っていたので、ネアンデルタール人でなく、ホモ・サピエンスが正確には生き残ったのではないかと考えている人もいる。私たちは狩りや道具を作るときに優れた技術を発達させたから生き残ったのである。

 

私たちがネアンデルタール人の化石発掘現場から発見した動物の骨は比較してみると シカや、マンモス、バッファローなどの大型の哺乳類だ。一方、兎のような小さい動物 の骨は人間によって捨てられた遺物の中の大きい動物の骨のそばで発見された。これは何を私たちに伝えるのか?

 

ホモ・サピエンスがヨーロッパに到着した後、気候変動が起こり、より寒い気象という 結果になった。マンモスなどの大きい哺乳類は珍しくなり、より狩るのが難しくなった、 そして食料源としての小さい哺乳類の重要性が増加した。

 

ネアンデルタール人は兎のような小さい哺乳類ではなく大きい哺乳類を追い詰めるの に役立つ槍や棍棒を使用していた。そしてこの時あたりに、ホモ・サピエンスは大きな 進歩を遂げた・・・投槍器である。

 

投槍器は槍を投げるための装置である。投槍器を使えば、経験がなくても20~30メ ートル槍を投げることができる、そして少しの練習で槍はさらに遠く飛び、狙いは上達 するだろう。この革新的な装置はホモ・サピエンスが寒い気象を生き残るのを助けた。 食料が乏しくなった時、ネアンデルタール人は困難に直面した、たぶんなぜなら彼らは 適合できることが少なかったからだ。

 

私たちの生き残ったことについての秘密は脳とも関係があるのだろう。

 

もし完全に脳の大きさがすべてならば、鯨は最も賢くなるが、実際はそうではない。最 も重要なのは、体重に対しての脳の割合である。この点に於いて、ホモ・サピエンスは 他のヒト科の種と比べて優れている。そしてこの論点は石器の質を比べることによって証明できる。

 

ネアンデルタール人の石器は素晴らしく見え、それらは綺麗な対照的な形である。これは、ネアンデルタール人は計画を立て、実用性のある何かを十分に作れるほど賢かった ことを示している。しかし、どれだけ洗練されていても、これらの道具を見ると、あなたは何か欠けているものを感じるだろう。形の多様性がほとんどないのだ。ネアンデルタール人は様々な状況に直面し、違う種類の道具を必要としたが、しかし彼らは異なった必要性に合わせて道具を適合する柔軟性が欠如していたと見える。技術の水準は印象的であったが、しかし彼らは生き残るために重要な、状況の変更を適応させる独創力が欠如していた。

 

私たちは、進化が私たちへとつながる、と考えるのを強く唆されている。すべてホモの 初期段階がいたから、今の私たちが存在すると考えがちだ。私たちは優れているので、 私たちが生き残るに値するとさえ考えるかもしれない。しかしこれは正しいのか?

 

一定の時間で状況により適応できる人種は生き残る傾向にある、というのは正しい。しかしそれ以上に、進化は盲目だ。何の計画もなく、何の意図もない。考えると、2、3 万年後には、新しいホモの種類がいるかもしれない。彼らはより大きな目とより少ない髪があるだろう。たぶん、彼らは、彼らは自分自身をホモ・コギタンス、もしくは同じような自己満足的な何かと称すかもしれない。

 

「ああ、哀れなホモ・サピエンス!」彼らは私たちについてわざわざ考えるときに言うかもしれない。「私はなぜ彼らが絶滅したのか不思議に思うよ。まあいいや、あまり重要ではない。彼らはただ私たちへとつながるためだけに存在したのだから。」