重要な研究が、受けるべき評価を受けないというのは、科学の世界ですら時々起こる。人気がない、高度すぎる技術理論、魅力的でない個性、有力な友人や出版する機会の欠如・・・これらは全て名声への道を妨げる可能性がある。しかし、重要な発見は通常、いつかは評価を受けるだろう。たぶん,今こそ、200年以上前に生きていた、イギリスの物理学者で、医者で、言語学者のトーマス・ヤングの業績を考える時だ。

 

ヤングは1773年、気楽な境遇で、啓発主義が、ロマン主義運動に取って代わっていた時に、イギリスに生まれた。彼の同時代の人の中には、ベートーベンや、シューベルト、詩人のワーズワース、シェリーやゲーテ、ターナーやゴヤのような画家や、ラボアジェ、ラプラスや、ファラデーのような科学者がいた。新しいスタイルが音楽や、文学や絵画で、新しいアイデアが科学で、カントとベンサムの対抗する倫理学のシステムが将にヨーロッパの考えを変化させようとしていた。

 

トーマスは例外的な(並外れた)子供で、二歳までに流暢に本を読むことが出来た。16歳で、10の言語に精通し,ギリシャ語やラテン語や多数の近代的な言語だけでなく、彼の時代の科学の本も広範囲にわたって読んだ。1792年、19歳で、彼は医者になりたいことを決心し、翌年、筋肉構造に関して、目の焦点を合わせる能力を説明する論文を王立協会に提出した。

 

1799年に卒業した後、彼はロンドンで医者として開業した、しかし彼は病気を対処することよりも研究することのほうが適していた、彼の科学的興味は彼の時間の殆どを占めていた。患者は幸せではなかった、例えば、ヤングが、他の医者の意見を様々な可能性の評価に過ぎない、と彼らに言った時だ。(しかし)彼らは確実性に対して金を払っている。

 

1798年に、ヤングは音と光に関する一連の実験を開始した。

 

光の性質は、人生の様々な関心事や芸術の遂行に対しては本質的には重要な主題ではない、しかし光の性質は他の多くの点では、極めて興味深い、と彼は記した。

 

実際、光の性質は実用的な生活の関心事としては将に最大級の重要性を持っている。電球や太陽電池付きの計算機の前に生きていたので、ヤングは光が私たちの生活にどれほど重要になるのかがわからなかった。そして実をいうと、私たち自身もたぶん光がどれほど重要になるか分からない。科学者たちは情報を送るために電力の代わりに光を使っているパソコンで仕事をしている。たぶん、未来の電子工学は光通信学と呼ばれなければならないだろう。ヤングの革命的な仕事の重要性は、成長し続けられるように見える。

 

1800年から1804年の間に、ヤングは一連の論文を提出し、干渉の問題、奇妙で予測できなかった光の効果について講義した。彼のもっとも有名な実験・・・二つのスリットの実験は並置された2つの非常に狭いスリットを通して光を放つ。私たちは、二つのスリットを通り抜ける光のパターンは、明るい二つの中心が滑らかに暗闇に落ちていき、車のヘッドライトのように見えると予想するかもしれない。しかし実際は、一連の黒と白のラインが現れる。これらの謎のラインは私たちの理解している光に変形した。

 

ヤングが生まれる100年前、アイザック・ニュートン(1642~1727)は、ライトを波ではなく、微小な粒子でできているものとして想像するのがより良いと議論した。水の波や音波のような波の動きは周りの障害物で曲げることが出来る。だからあなたは、角で誰かがあなたに叫んでいるのが聞こえるというわけだ。しかしニュートンはこの種の曲がり(回折)は光によって起こるように見えないと指摘した。私たちは角の周りは見れない。クリスティアン・ホイヘンス(1629~1695)やロバート・フック(1635~1702)のような別の科学者は、光は波の一種であると提案したが、ニュートンは、一般にイギリスとヨーロッパで非常に称賛されたので光の粒子の理論はイギリスの科学者たちによって強く信じられた。

 

しかしヤングは、光は波に違いないと考えていた。もし同じ二つの波が出会ったら、一つがピークの時、もう一つは谷にぶつかっている、そしてその二つの波は互いに打ち消しあうだろう。それらが打ち消しあう場所では光はないだろう。このようにして、光が波の一種であるときのみヤングの黒い線(の実験)を説明することが出来る。もし光が粒子からできているならば、どうやってその黒い線を説明できるのだろうか?

 

二つのスリットの実験は,光の回折も証明している。(なぜなら、その光はスリットを通り抜けるとき広がっているからだ。)そして光は波のように作用できると決定的に証明しているように見える。しかし、この明らかな証明にもかかわらず、ヤングの反ニュートン的なアイデアはイギリスでは無視されていた。

 

ヤングは波の見地から光の他の側面を説明し続けた。彼は1809年に反射と分散について説明し、1820年に、違う色の波長を計算した。ヤングは視覚について研究し続け、1807年に色を見るための私たちの能力の説明を提出した。(今はヤング・ヘルムホルツ論として知られている。)ヤングは、私たちは、青色、赤色、緑色に対して敏感な、私たちの目の中のたった三種類の色検出器のおかげで、色の全体の範囲を見ることが出来る、と提案した。ならば、例えば黄色をどうやって私たちは見るのか?赤色と緑色に対する入力が高くなり、青色に対しては低くなった時に、黄色の知覚が起こる。白はどうだろうか?それは、すべての三つの種類の検出器の入力が高くなった時、私たちが白と呼ぶ色を知覚する。

 

ヤングの科学的興味は異常なほど広かった。光の波の性質を証明することや、色覚のメカニズムを提示することにも満足せず、彼は、当時利用可能な最も良い整理の理論を生み出し、血管作用を説明し、材料の伸び具合の測定に取り組み(ヤング率)、エジプトの古代の筆記システムの暗号を解読するカギを提供した。王立協会の彼の同僚の一人が言った、「彼はあまりによく知っているから彼が知らないということをいうのは難しい。」しかし彼のもっとも重要な功績は光の波の性質であり、それは今日でも極めて重要である。・・・彼が決して予測できなかった理由で・・・

 

私たちがヤングの有名な実験の二つのスリットで粒子(波ではない)を発射したと仮定しよう..

例えば、電子は通常粒子だと考えられている。スリットに発射された電子の渦が干渉波を作るだろうか?あなたはこれを完全に不可能と考えるだろう.。なぜなら、粒子は互いに打ち消せないからである。しかし電子の回折や干渉は実際、観察された、そしてこれは、電子が波のように作用したと証明しているように見える。私たちは電子を時には粒子のような、そして時には波のようなものとして理解する必要がある。同じ方法で、ヤングの実験の100年後、波のような光がまるで粒子からできているように、時々作用できることがニュートンによって証明された。

 

この、波と粒子の二重性は近代科学の中心であり、ヤングの偉大なアイデア(その干渉が波のような性質を証明する)は未だに決定的に重要である。しかし今ですら、ヤングは科学史に於いて、ほとんど重要ではない人物であり、よく知られているという点で、たとえば、ファラデーには及ばない。たぶん、能力が多すぎることは能力が少ないことと同じくらい危険なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

トーマス・ヤング https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0

 

スリットの実験 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E5%AE%9F%E9%A8%93

 

ヤング・ヘルムホルツ論https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%9D%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%84%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%89%B2%E8%AA%AC

 

ヤング率 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%8E%87