イソフラボン中毒のイソフライフ

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抜け毛対策にイソフラボンを摂取しないと死んでしまうという神経質野郎が頑張って悠々と過ごそうとする日々を綴ったブログです。さみしがり屋なので罵声や怒号も愛されてると感謝するのでコメントなどはお気軽に。

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ちょいと遅いが、社会人になって、また、同じ企業に勤めて3年が経った。こうして振り返ると、3年という時間は無駄ではなかったと思える。

日本では「まずは一人前になるまで3年勤めろ」という風習があり、これが最近の若者世代にはウケが悪いとされている。なぜなら蔓延るブラック企業、パワハラ・セクハラ上司、スキルの身につかない職場などいろいろな要因が重なって「3年も我慢する意味が感じられない」という意見があるからだ。こういう場合は、確かに仕方ないかもしれない。3年我慢するとかの前に、無理やり自分を殺して崩壊し、社会復帰するまでに3年以上、下手すればもっと多くの時間がかかるかもしれないからだ。
そういう場合を除いて、3年辛抱するというのは、少し面白いかもしれない。単純に約3年×8時間、基本的に5日間出勤の土日祝休みとして約240日×8時間すると1,920時間になる。これが何を表すかというと、プロになるための時間の約5分の1くらいでしかないのだ。
よく提唱されている、その道のプロとして確立するには1万時間が必要だという理論は、1日8時間を365日投資したとすると、約3年4カ月で到達することができる。
こう比較すると、あまりにも計算結果がかけ離れていないか…?と思ったが、時代的な背景を計算に反映させることを忘れていた。とりあえず3年、というのは昔からの伝統だから、今の働き方とは違うのだ。
じゃあ昔のことを考えて計算してみよう。
昔…と言ってもどの程度昔かは分からないが、仮に土日休みが確定せず、残業も当たり前のように行っていた日本人が8時間働くだけで済むわけはないので、仮に10時間働いていたとしよう。それをほぼ毎日繰り返していたら、3年でその道のプロになるという仮説が成り立つ。いささか乱暴な計算ではあるが、前述の提唱されているプロ理論に限りなく近い数字が導き出されるだろう。

この考え方からすると、3年勤めるという精神は昔の日本では、即ちプロになるということであり、その仕事で初めてお金をもらうに値する、という考え方の結果論だったのだろう。それからすると、あながち3年辛抱しろというのは間違いではないのかもしれない。ただ、その根拠を明確に説明できる大人が少なく「いいから黙って言うことを聞け」という精神論になってしまうのと、時代背景があまりにも違いすぎるため、若者たちに受け入れられないのではなかろうか。そう考えると、古くさい考え方だというのも分からないではない。
ただ、今の若者の考え方にはその仕事のプロになんかなりたくない、思っていた仕事と違う、という意見も含まれるだろう。別にそれも一つの道だろうが、では代わりに3年耐えられるものがあるのだろか?あればそれは天職、是非とも続けるべきだ。そうでなく、いたずらに繰り返し転職を続ける場合はいつまで経ってもプロになれない。
それは仕事の、という前に社会の一員として、という意味だ。先ほどの理論は目の前の仕事についてプロになることもそうだが、もう一つは社会の一員として成熟した存在になることも同時進行しているのである。私も勤め始めたばかりの頃、仕事はつまらないし給料は低いし、人生好きなことに心血を注げないのかと嘆いて文句を言っていた頃、親父殿から言われたのは「すぐに退職した人間を、どこの会社が信頼してくれるんだ」ということだった。
その時は何を言いやがるクソ親父め、と憎らしい気持ちを抱いたものだが、今になって思い返せば確かにそうなのかもしれない。もちろん、何回も言うようだがどうしたって合わないのなら辞めるべきだし、他に明確にやりたいことがあって、そっちならプロになれる!と思うのなら全然問題はないと思う。
しかし、そうでない場合は、社会人になるための時間のかかる初期費用だと割り切るしかないだろう。3年勤めたから転職で有利になるわけではないが、同じ道の上にいたのなら1年よりも2年、2年よりも3年だと人事の人間は判断するだろう。それに、働いている諸兄はご存知かもしれないが、1年勤めただけではその仕事の醍醐味や奥深さはあまり感じられないだろう。ようやく慣れてきました、慣れた気持ちを糧にこれから本腰入れます…1年の経過なんてそんなもんだろう。2年経ったら内容も把握してきて、さあこれから改善なり改革なりを行おうという時期かもしれない。3年経てば、酸いも甘いも味わった一人前の出来上がりというわけだ。そうした人間が初めて、仕事とはなんぞやと語れるのだろう。

だから、感情的な書き方をすれば「3年経たないとその仕事の内容は本当の意味で把握できない」という感じだし、論理的な書き方をすれば「3年経ってようやくそのキャリアをプロとして扱う時間に到達できた」ということだ。
ぶっちゃけ、仕事の良し悪しはどうでもいいかもしれない。3年経っても合わないならやっぱり合わないと言ってもいいからだ。ただし、その間に培った社会人としてプロ意識は、やはり新人と一人前とを画する大きな材料の一つだろう。
そういうことから、3年勤めるとは意味があるものなのだと言えるようになったのだ。強いて言えば、どうせ同じ3年を過ごすなら転職するにしたって、スキルの身につくところがいいだろう。資格なんかを取らせてもらえたら尚のことベターだ。
ただし、どこかの本に書いてあったが「最初の仕事はくじ引きである」という格言はまさにその通りだなぁと思える。