『食べたものでカラダは作られる』

という言葉はよく耳にするし

言ってることはイメージ出来るしよくわかる



で、

今日、

奥田民生氏の『音のない音』

という曲を聴いていたとき思った。


音も確実に我々のカラダを作ってると。


その曲は、

音と音の間、隙間、

2人の間のその隙間で


色んな音が日々あり


色んな関係性がある。



みたいな内容だと勝手に受け取り、



ブツリガク的な

素粒子(全てのモノの最小単位って言われてるやつ)と

リンクしてしまい、


音も全部カラダに浸透しちゃうやつ
ご飯と同じやつじゃん、て

やべー!となってしまった。


(しかも、友達のヨガティーチャーまーみんから、音は聴こえなくなるだけで、無くなることはなくて残ってる、と教わった!それもリンク。なくならないやつ!!!)


やばいでしょ、たみおボイス=メシ。

いやはや。

なむなむ
ありがたや。


最近、
声を味わうように聴くと

カラダがブワっとなるのも、それか!

意識の問題で。

それまで

好きだなーって何気なく聴いてたやつが

味わおう的な意識が入ると

ブワっとしちゃうという。

めし入った感。


(きもいとか言わないでくださいな笑)


でも、好きな人の声とか
においとか

考えたら

そうでしょう。

肥やしになってるから
ブワっとなるのか!

ご飯で言うところの、

ビュッフェで好きなものあったー!と、

お皿にとって、食べてるわけだ(笑)。

きらいなものはとらんし、

聴かないから。



だからもって

全部そうやんとなる。


好きで行ってる居酒屋も

味が好きもあるけど

店を作り出してる店主が発してるモノに


ブワッとなる訳です。

料理のおいしさも、結局そっから来てるわけで。

そこが合うやつ。




好きな服も

それを創る人やら、色彩やら、カタチやらが

味で言えば、


食べたい感じで
食べて
身になってるんですわ。

あの人に髪を切ってもらいたくて
美容院行って
ハサミさばきを
食べに行っております。


全てワタシの身です。


カーテン作ってくれた人の
波動が勝手に入り込み、
それをまとって寝て、起きてそれを開けてます。

関わる人もみんな
全部が全部

ワタシを創る彩る一部である。



そう考えたら
ますます断捨離の意味がわかって
モノの多さにこれまたブワっと
しちゃうね苦笑!





【おまけ】

民生さん繋がりで

思い立って描いた『愛のために』の歌詞。

初めて聴いたときは10代だったけど、

今聴くと、自分が歌詞の中の隣の席のおっさんなんじゃないかと思っちゃうね(笑)。