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私は、自分がどんな風にエゴとひとつになっていたかが、透けて見えた気がしていました。
それまで私は、目に見えないものが見えたり、聞こえないことを聞くことができるこを、
何か特別なことのように思っていたのかもしれません。
だからエゴは密かにこんな風につぶやいていました。
「私は見えないものが見えるんですよ」
「私に何でも聞いてください。だって私には見えるんですから」
「私にはこんなことができるんですよ。だから認めてください♪」
「私はすごいでしょ?だって特別なことができるんですもの」
「私はあなたと違うんですよ♪だって特別なことができるんです。だから評価してください」
エゴに悪気はありませんでした。
ただ無意識なだけでした。
私にはこのエゴの密かなささやきは、それまで聞こえてはいませんでした。
何しろエゴは無意識ですし、私はそれと一体化していたのですから。。。
でもあの瞬間、エゴの密かな声が聞こえたのです。
そして私は目覚めました。
小さい頃に、何かから自分を守ろうとして学んだ術を、
大人になった今でも、エゴは大事に持っていて、
何かが起こるたびに自分を守っては、エゴとしての自分を存続させていました。
エゴは、「守らなければ!」と、深く信じ込んで必死で何かを守っていました。
そのことでエゴ自身が生き延びていられることを知っていました。
だからエゴにとっては、私が本来の自己としての本質に目覚められることが、
本当は何よりも怖いことでした。
そのことを私は、以前瞑想の師から受けたセッションの中でビジョンとして見ていました。
その時はそれがどういう意味なのか、よく解かっていませんでした。
そのビジョンは、エゴの在り方とそのドラマ、そしてそれを観察している、
大いなる自己としての本質のビジョンでした。
それはそれは美しい、叡智に満ちたビジョンだったのです。
~聖なるビジョンにつづく~