今日もお休みでした。
昨晩は、進撃の巨人のアニメを見始めた結果、気づいたら明け方6時になっていました。
そう、この時は退屈ではありませんでした。
しかし虚しさや罪悪感がのこりました。
アニメに頼る退屈を脱却して、リア充になりたい!(笑)
どーもロールです。
今日のテーマは退屈という感情についてを考えてみます。
この感情を克服して、退屈マンを卒業してやろうと思います。
まず「退屈」の定義です。 (ウィキペディア)
退屈(たいくつ)は、なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、
もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情である。
※国語辞典の意味は、前回参照ですね。
詰まることは、飽きたという感情状態のことみたいですね。
趣味でも、仕事でもなんでも同じことを続けていればい、いずれは飽きて退屈と感じる感情に陥る。
ということかと思います。
仕事の退屈の場合は
毎日同じ業務をしていて、変化がないから退屈
趣味の退屈の場合は
やり始めの最初は楽しかったけど、続けるうちに日常化しすぎて退屈
暇で退屈の場合は
何もしないことに対して、なにも変化がないから退屈
ということですね。
つまることは、「退屈」を辞めたいならば、変化という刺激が必要であるということが考えられます。
では、上記の考えで、私の心を分析してみます。
私の仕事の場合
今年で、いまの会社に10年目の勤務になります。
よく考えると、あまり仕事中に退屈と感じたことがありませね。
この約10年のうち、部署はずっと一緒です。
異動は引っ越しを伴うので4回ありました。
どこの部署でも、やるべきことが多くて、気づいたらもうこんな時間!という感覚ばかりでした。
稀に今日あんまりやることないなという日もありましたが、そういう時は退屈と感じるのではなく、
めったに訪れない「暇」としてむしろ嬉しく思っていた、 と分析します。
プライベートの場合
仕事がない日、予定がない一人で過ごす際に、やりたいことがあまり見つかりません。
仕事の休みは欲しいと感じるけど、休みに何をすべきかがはっきりしていません。
(友達や職場の人間との交流がある日は喜ばしい日と改めて感じますね)
・家でゴロゴロ(映画やアニメ、ゲームなどする)している
=内容により終わった後のへんな罪悪感や退屈と感じることが多々
・パチンコや行く
=負けるとわかっていても行く、退屈しのぎでいっていると自分でも感じる。
・2年くらい前に始めたダーツをする
=なかなか上達しないことで、飽きて退屈になったので行かなくなった
・お酒が好きなので、一人のみを極める
=最近さみしくなって、飽きた。
・元陸上部で、運動が好きなので何か運動をしたい
=一人で試合等の目標がない状態で走っても全く続かない。
複数人でやる球技などは一人ではできない。
・新しい趣味を探すために何か活動をする
=めんどくさくてやる気が出ない。(笑)
後半の方は退屈とはまた少し違った観点になってきましたね。
私の仕事中の感情から考えるに、忙しい状況=退屈を感じない
になりそうな気がしてきました。
「退屈」はその活動内容や日常そのものがマンネリ化していることに原因があるのかと思いますが、
仕事をするうえで「仕事が嫌だ」、「仕事辞めたい」、「こんな仕事無理だ」
などと思ったことはいくらでもありますが、
よくよく考えると退屈な仕事と感じたことは全然ない気がします。
さらに、仕事は仕事として、やらないといけない義務があるから、やれます。
趣味はあくまで自分の良し悪しの判断で、やらなくてもいいことでもあるから、やらないし続かない。
私は強迫観念的、義務感的なものがないとあまり実働的に動けないタイプなのかもしれません。
さらに、そのやらないといけないという義務感を達成した際に充実感を感じるタイプな気がしてきました。
日々が充実していると感じれる人って、プライベートも含めて忙しい人が多いですよね。
むしろ忙しいから、充実しているんですもんね?
それって、人に迷惑をかけるから、やらないといけないという義務状態を背負ってるのかもしれません。
では、以上のことか、私が退屈マンからの脱却方法を結論付けてみると
①休日に絶対にやらないといけないことを増やす
(自分だけが困ることではなくて、やらないと第三者が困る予定などを入れる)
②そのために、他人を巻き込んだ趣味を増やす。
③趣味を増やすための積極的な活動を行う。
と、いま結論づけました。
ただ、趣味を探すのがめんどくさいと感じている私は、どれも何とも難しい。
よって、次の解決の道は、この「めんどくさい」を分析・克服することのようです。
(退屈が嫌なくせに、めんどくさがりやって救いはあるのだろうか?笑)
ということで次回テーマは
「めんどくさい」を分析してみます。
以上