『お城巡り』と『カープ観戦記』

『お城巡り』と『カープ観戦記』

『カープ観戦記』と私の行った『お城』を紹介していこうと思います。

カープが負けた時は一切野球の話題にはふれないか、愚痴になると思いますが・・・


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前回久しぶりの更新にもかかわらず

ペタしてくれた方々ありがとうございます。

ずっとペタをしてくれてた人もいてビックリしました。

本当にありがとうございます。


今回も城です、出雲の『月山富田城』
山陰・山陽に覇を唱えた尼子氏の居城です。
『お城巡り』と『カープ観戦記』

尼子氏は近江の佐々木氏の流れで
佐々木氏は京極と六角の二系統に分かれますが
尼子氏は京極の支流にあたり、京極道誉の孫高久が
近江犬上郡尼子郷を与えられ
在地名の尼子を名乗ったのが始まりです。
高久の子持久が祖父である守護京極高詮の代官として
出雲に下り富田城に拠って出雲尼子氏の祖となったと言います。


富田城へは何度と行ってるのですが
ここも丸亀城同様いつもなぜか雨です。
城跡は山陰山陽十一ヵ国の太守と言われた尼子氏の居城だけあって
大変に広く、また綺麗に整備されています。
塩谷口の方から中腹の山中御殿近くまで車で行けますが
今回は麓にある道の駅「広瀬・富田城」から登って行くルートです。


道の駅「広瀬・富田城」の駐車場にある富田城の説明看板を見て
尼子興久墓の案内板に従い進みます
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尼子興久の墓から道なりに谷を登って行くと

まず馬乗馬場
『お城巡り』と『カープ観戦記』
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そして千畳平
尼子時代は「勢揃い場」です。

ここには樹齢四百年以上の椎の木があります

城に椎の木を植えたのはその実を食料の足しにできたからです

尼子時代から残る唯一の古木です。
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千畳平の一段上が太鼓壇です

当時時刻を知らせたり

攻め太鼓として士気を鼓舞した太鼓を吊るした建物があった所です。

ここには三日月に手を合わせて

「願わくば我に七難八苦を授け給え」と祈る

山中鹿之助像があります
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以上、麓から太鼓壇まででした。

次回は奥書院平から山中御殿までです

なるべく早く更新できればと思うのですが

う~~ん

微妙です・・・

凄く久しぶりのブログ更新です
これからはボチボチ更新しようかと思ってます。


久しぶりの更新の内容はカープではなく
名古屋城の本丸西南隅櫓です。
『お城巡り』と『カープ観戦記』
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二重三階、本瓦葺
名古屋城に現存する3つの櫓の一つで国の重要文化財です。


名古屋城と言えば現在本丸御殿を復元中ですが
先日テレビのニュースで河村名古屋市長が
天守も木造復元すると言ってるのを見ました
天守がデカく立派なだけに、どれだけ金がかかるのか
確かに木造復元ができたら見事だとは思いますが
名古屋市民は賛否両論なのかな?

打線の方針を変えれば打たなくなり

ビッチャーの編成をいじればガタガタにする

ブラウンがいじると全部ダメになっとるやんけ!!

1日もはやくアメリカへいんでくれ!

そうせんと今年はともかく

来年へなんもつながらん1年になってしまう

ほんまたのむわ・・・

カープの現状

当然の結果だと思います

中日と野球のレベルの差と言う人も多いですが

毎回逆転や接戦で負けるのは

ベンチワークの差

少し汚い言葉を使いますが

クソブラウンのカス采配

につきます。


どこぞのオーナーは

「今年はいい成績をぜがひにでも残したい。」と

おっしゃってましたが

本気でそう思うのでしたら

あのカス監督を早々にアメリカへ送り返してください

そしたらまだ3位ならなんとかなるかもしれません。








最近カープばかりでしたが
今回は久しぶりのお城です。


兵庫県佐用郡佐用町にある
『利神城』(りかんじょう)です
道の駅「宿場町ひらふく」の正面の山で
山頂の石垣が道の駅からもよく見えます。
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※利神城案内板より※
赤松一族から最北端の防備の任をうけた別所敦範により
貞和5年(1949)に築城。
その後別所一族が約二百年間この地を治めるが
天正6年(1578)秀吉の中国攻めにからみ
山中鹿之助に攻められ落城。
その後姫路城主池田輝政の甥、由之により
慶長5年(1600)から約5年の年月をかけて行った大改修で
現在の城となる。
標高373mの利神山に三層の天守を配した連郭式山城は
東西300m南北500mにも及ぶ総石垣造りの広大な山城で
別名を雲突城とも呼ばれた。
これをみた輝政は余りにも壮大であるため天守破却の命を下し
由之は退去させられる。
寛永8年(1631)最後の城主、輝興が赤穂へ転封。
これにより平福は城下町としての歴史を閉じ
鳥取藩の本陣を置く宿場町として栄えることとなる。
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利神城へは時間がなかったので車で上がりました
下から登りたかったな・・・


県道443号線を約2kほど走ると
「利神城跡登山口」の石碑があり
砂利道が山頂まで400mの所まであります。
砂利道と言ってもそこまで危険な道ではなくて
普通の車なら上れます。
駐車スペースも4~5台は楽に停めれると思います
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山頂からの眺めは最高です!
鹿のフンだらけですけど^^;
最近は鹿が増えてるんですね
私もいろんな山城に登ってますが
鹿に遭遇することが1番多いです
次が猪かな、熊とは一生会いたくないです^^