おはようございます。
本日は「時の記念日」です。
「時の記念日」は、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」という趣旨から、
1920年(大正9年)に制定されました。
今では、電車のダイヤの正確さ等で、時間をきっちり守るイメージのある日本ですが、
昔の日本人は、外国人から時間に対してとてもルーズな国民とみられていたのです。
・西欧と日本の時間の感覚がちがかった
14世紀に機械時計が登場し、15世紀には1日を24時間に等分する「定時法」が
一般社会に普及したといわれている西欧にたいし、
日本では中世から近世にかけて、日の出と日没の間を6等分する「不定時法」が用いられていました。
日本では中世から近世にかけて、日の出と日没の間を6等分する「不定時法」が用いられていました。
当時の日本では、「分」というものが存在せず、時間を表すのは2時間おきの「一刻」というもので、
この一刻おきに鳴る寺社の鐘が、庶民が時間を知るためのほぼ唯一の方法でした。
この一刻の間に「半刻」というものがありましたが、
当然、機械時計などなくきっかり1時間など計れないので、
人々がそれぞれの感覚で「多分、半刻」という大雑把なものでした。
幕末から明治にかけて、多くの外国人が日本にきましたが、
時間は分単位の西欧人にたいし、時間は2時間ごとな日本人とでは、
時間関係のやりとりですれ違いが多く、日本人の時間のルーズさに西欧の人達は頭を痛めました。
・日本書紀にあやかって、時間に正確になろう作戦
明治の後半には、分単位の時間の概念が一般に普及しましたが、
まだまだ、ゆったりとした感覚が日本人の中にはありました。
そこで、「日本書記」に「天智天皇が漏刻(ろうこく)を置いて初めて時を打った」という記述があり、
その日が、天智天皇10年4月25日、西暦では671年6月10日ということから、
大正9年に、この日を「時の記念日」としました。
時間に正確なことは素晴らしいことですが、
現代社会は、時間に正確というよりも追われている人たちが多い気がします。
時間に正確になることを目指した「時の記念日」ですが、
現代では、時間をゆっくり過ごすことに焦点をあてるのもいいかもしれません。
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