今まで自分の人生はオプションだと思ってて
そんなオプション期間さえ
もうそんなに貴いものでは無くなってしまった。
どんなに苦しい人生でも、
周りの人のように出来なくても、
家族が揃っているだけで私はしあわせ
なのだと思っていた。だから、
誰かが欠けるのがずっと怖かった。
誰かが欠けた後の人生は
人生じゃないと思っていた。
それが、何十年先にあるのかと
いつもノートに書いては不安になってた。
それが、あっという間に、急に、
あっというまに、家族が一人掛けた。
父はいなくなってしまった。
あんなに、生きようと必死だった父が
病気に奪われてしまった。
私が代わりにいなくなれば良かった。
父にはもっと生きて欲しかった。
人の役に立てる人だった。
母は苦労させられたけど。
同時に、父と母のために奮闘した
私の20代後半から40代、その毎日は終わった。
私の役目が終わったんだ。
でもこれからは、
「母のため」
生きなくてはという
使命感があった。それが、、
ほんとの悲しみは
父が亡くなったことだけ
じゃなかった。
葬儀の準備、
母は弟ばかり頼りにしていた。
今まで二人三脚で、父を支えてきたのに、ぽっとでの弟と二人ですすめはじめた。
私は蚊帳の外だった。
私が言ってることはきかず、
同じことを弟がいうときく母。
笑い声がきこえる。
今まで、、ふたりで
頑張ってきたじゃん。
お母さんのこと、
ずっと助けてきて、
味方でいたじゃん。。。
いろんなお出かけも我慢したよ
自分の具合が悪いと時も
一生懸命、癌のこと調べたり
二人を助けてきたつもりだったよ
ああもう、
私は用がなくなったんだね。
弟の方がしっかりしてて
頭もいいもんね
父の最後、母の味方ばかりして
すごく後悔した。
こんなことなら、
ずっと父の味方でいれば
よかった。
裏切られた気分だった。
もう3週間経つけど
私は前みたいに役にたてなくなった
それに、一応
貯金あったんだ。。
今まで家にお金がないからと、
たくさん我慢していた。
大学も我慢した。
誕生日など貰ったお金も
使わずにずっととっておいた。
結婚資金も、みんな
両親の老後のためにと
思って使わなかった。
なのに、
すごい額ではないけど、
私の貯金なんて役にたたない位は残ってた。
なんだ、私、
食器棚とか買ってよかったんだね。
いまでも、お皿おくとこないよ。
パンも、100円以上する6枚切り
買ってよかったんだね。
夜中遅いとき、タクシー使って
良かったんだね。
じゃあ、残りの人生50代60代と
やりたい事をして好きに生きたらいいと
思うかもしれない。
今頃さ、
好きな様にできないんだよ。
年齢じゃなくて、
もう10年以上、
私は病気なんだよ。
聞いても説明が理解出来ないんだ。
少し階段登れば胸がバクバクするんだ。
電話も出れないんだ。
人より痛みが強く出るんだ。
頑張り屋なのに
この体は頑張らせてはくれないんだ。
電車にのれたら
本をよんで理解できたら
記憶ができたら
お腹が痛くならなければ
どこまでもいくのに
なんでも挑戦したいのに
父が旅立ったとき、
わかったことが3つある。
一つ目、
後を追いたいというのがはじめて
よくわかった。もう生きていても仕方ないから、せめて自分も同じタイミングでという気持ち。
二つ目、
残された人の気持ちを考えると
死ぬなんてそんな酷い事できないと今まで
思ったけど、
亡くなると、まるで最初からその人が
いなかったみたいに、しだいに
記憶から消えていく。だから、
そんなに周りの人のことなんて
考えることないんだ。
ほんとに私は1から10まで
他人のことばかり考えてた。
3つ目、
いつかは必ず死ぬし、
死んだ時、全てが無になるんだ。
どんな人生を送っても、
何十年生きて、素晴らしい賞をとっても
消えてなくなる。
誰しもが平等に。
だから理論上は、
不安障害になる必要なんてない。
怒られたって、
間違えたって
失敗したって、
友達がいなくたって、
恥ずかしくない。
死ぬことは当然のことだから、
死ぬのを恐れて発作を起こしてる
場合じゃない。
頭ではわかってても
身体が勝手に
不安を呼び起こすよね。
でも、前よりは確実に
身をもってわかった
今不安を起こしてるのは
やっぱり自分なんだって。
自分にしか起こせないんだって。
私の神経がもっとそのことを
しっかりとわかってくれますように。
今の気持ちを残しておきたくて
久しぶりにameblo開きました。
