2015年1月100分de名著「岡倉天心 茶の本」 | 芸術家く〜まん843

芸術家く〜まん843

お越しくださりありがとうございます

{44DDB1D6-0603-4374-825D-B87823BAE9A0:01}

新渡戸稲造「武士道」とほぼ同じ時期に英語で出版され、日本文化の啓蒙書として世界中で読み継がれている岡倉天心著「茶の本」。
初詣、おせち料理、書初め等…日本の文化を強く意識する新年、「100分de名著」では、「茶の文化」を通して日本や東洋文明の底流に流れている特異な世界観をわかりやすく紹介した「茶の本」を読み解き、日本とは、そして、日本人とは何かをあらためて見つめなおします。

「茶の本」といっても、茶道の指南書ではありません。
近代欧米の物質主義的文化と対比して、東洋の伝統精神文化の奥義を解きつくそうという壮大な構想をもとに書かれた天心流の文明論です。
明治時代、文部官僚として日本美術の再興に尽力した天心ですが、ボストン美術館で東洋美術収集の仕事をするようになってから、欧米社会にいかにして日本文化の奥深さを伝えるかを自らのミッションと考えるようになりました。
その頃、日清・日露戦争を契機に日本人への関心が高まっていましたが、「武士道」等の影響で、日本人の「戦闘的精神」のみがクローズアップされることに天心は違和感をもっていました。
そこで、それとは全く対極的な「平和的」「内省的」文化である「茶」にこそ日本の神髄があると主張しようとしたのです。

「茶の本」を読み解いていくと、建築、庭園、衣服、陶芸、絵画といった日本文化の隅々にいたるまで、「茶の思想」の深い影響が及んでいることがわかります。
またごく日常的な営みに美や崇高さを感じ取る日本人ならではの感受性がいかにして育まれていったかを知ることができます。
いわば、「茶の本」は、日本人のよい面、悪い面全てを映し出す「鏡」のような本ともいえるでしょう。

岡倉天心研究の第一人者、大久保喬樹教授(東京女子大学)は、「茶の本」を現代に読む意味は、「近代化の中で表面的には忘れ去ってしまっているが、無意識のうちに我々を規定している日本文化の基層に触れることができる」ことだといいます。
大久保教授に岡倉天心「茶の本」を現代の視点から読み解いてもらい、「日本人」や「日本文化」の根底に流れる世界観を解き明かします。
また第四回には、世界的な建築家・隈研吾さんをゲストに招き、「茶の本」に込められた思想をどのように建築設計に生かしているかをお聞きします。

◆第1回 茶碗に満ちる人の心

【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

天心は「茶道」の根本思想を「俗事中の俗事たる茶を飲む行為のようなごく日常的な営みを、究極の芸術であり宗教ととらえる日本独特の世界観」と紹介する。
これは「日常生活」と「芸術や宗教」を別次元のものと分け隔てる西欧近代思想と対極にある価値観である。
この価値観を天心は「美しくも愚かしいこと」という一言に象徴させる。
天心は「茶の精神」を、つまるところ「一抹の夢」にすぎない現実世界の無常を美しいものと観じ微笑んで受け入れる境地であると考えた。
そしてそこに、欲望に狂乱する現代世界の混乱を収拾するヒントがあるという。
第一回は、西欧近代の価値観と対比しながら、「茶の思想」に現れた日本独特の価値観を浮き彫りにする。

{9E3934F7-D6E7-4D16-89A6-AE818C8C371D:01}

{BFC04B56-96BE-4BE6-A902-D53E6E0FF392:01}

◆第2回 源泉としての老荘と禅

【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

「茶の思想」の根本には、老荘思想や禅の影響を受けた「虚(不完全性)」「小さいものの偉大さ」という二つの理念が存在する。
「水差しは中が空虚であるからこそ水を注ぎ入れることができる」という老子のたとえ話のように、人間は不完全であるからこそ完成に向けて無限の可能性が開かれているという人間観が「茶」にはある。
また、「極小の中に宇宙大の真理が宿る」という禅の思想の影響から、日常茶飯のひとつひとつが修行であり、その中に至上の境地を見いだすという「茶の精神」が生まれたという。
第二回は、禅と老荘思想から「茶の本」を読み解き、「虚(不完全性)」「小さいもの」といった一見マイナスに見える価値の中に、現代を生きるヒントを見いだしていく。
{27AF74FD-788D-4E3F-85BE-39F3A2D1350F:01}

{D3092DFD-A28B-4B39-A4B0-9393647CE081:01}

{58EA75D6-0837-4E8D-AE6C-6623CA277EB8:01}
○名著、げすとこらむ。
ゲスト講師
大久保喬樹「百年前に自然との共生を説いた先見の書」

『茶の本』は、明治時代に活躍した美術運動の指導者、文明思想家である岡倉天心(一八六二~一九一三)が、その後半生にアメリカに渡り、欧米の読者に向けて英語で執筆した日本文化論です。
天心は、茶には日本文化および伝統的な東洋文明の精神が凝縮されていると考え、茶の歴史や、その背景にある哲学、茶が生み出した芸術や美意識などさまざまなテーマを通して、日本文化および伝統的東洋文明の根底に流れる世界観がどのようなものであるかを説いています。
明治時代と言えば、文明開化という言葉にも象徴されるように、日本が欧米の進んだ(と考えられていた)文化や技術、制度などを熱心に取り入れようとしていた時代です。その時代にあって、アメリカで日本の伝統文化を説く本が出版されていたとは、意外に思う方もいらっしゃるかもしれません。
『茶の本』の著者である岡倉天心は、幕末の開港地横浜に生まれ、幼いころから英語を母語のように習得したいわゆるバイリンガルでした。
一方で、漢学や仏教など伝統日本文化も身につけ、東京大学で第一期生として学んだあとは文部官僚となり、強いカリスマ性をもって明治期の日本の美術行政を主導しました。
そこで天心が特に力を注いだのが、当時は文明開化の勢いに押され、衰えかけていた伝統日本美術を復興再生し革新させることでした。
天心は、日本の伝統美術の精神性の高さを早くから見抜いていたのです。
しかし、西欧化一辺倒の時代にあってそうした天心の考えはなかなか理解されず、次第に孤立していきます。
そして、ついに日本での活動に見切りをつけ、拠点をアメリカに移します。
以後、天心はボストン美術館の東洋美術部門の責任者として古美術収集活動などの仕事に従事するとともに、広く欧米世界に向かって自分の理想とする伝統東洋文明のありかたを説くことに力を注ぎました。
その集大成が、今回とりあげる『茶の本』です。
『茶の本』は、近代欧米の物質主義的文化に対して、東洋の伝統的な精神文化の奥義を説きつくす、天心の文明思想のエッセンスを示す一冊です。
しかし日本においては、天心自身と同様、なかなか正当に評価される機会に恵まれなかった本でもあると言えます。
というのも、さきほども触れたように、いまから一世紀以上前の明治社会においては、近代化、西欧化路線が主流であり、その路線に逆行する伝統的東洋文明を理想とするような本は、時代遅れで反動的だと見なされることが多かったからです。
さらに、天心の死後、日本がアジアへの侵略路線をとるようになると、その思想的根拠として、アジアの団結と再生をうたった天心の言葉がその本意を離れてさかんに使われたため、戦後はその反動で天心はファシストとして糾弾されます。
しかし、そうした誤解を乗り越え、今日になってようやく、天心の思想の本質が理解される時期を迎えているように思います。
天心は、彼が生きた当時の日本においてはその活動や思想が十分理解されず、孤立しがちでした。
しかし、一世紀以上経った現在からふりかえってみると逆に、天心の方こそが、時代に先んじた存在だったと言うことができます。
当時の多くの日本人がもっぱらその時代の日本という限られた視野から近視眼的なものの見方しかしていなかったのに対して、天心ははるかに広い視野──さまざまな文明から成り立つ世界全体と、数千年におよぶ歴史の流れ全体を見据えた視野──から大局的なものの見方をしていたのであり、そのうえで、この近代化、西欧化の路線には限界があり、その限界を乗り越えるには伝統的東洋文明理想に還ることが不可欠だと見なしたのです。
その意味で、天心のこうした思想は、単なる復古思想ではなく、未来を見据えた思想だったのです。
天心の先見性がもっとも感じられるもののひとつが、「自然との共生」というテーマです。
天心は中国の老荘思想を土台として、人間が自然の一部として、自然の摂理に組み込まれて生きることをくりかえし説きました。
それは、近代化にともなう工業化の影響で甚大な環境破壊が起こった二十世紀以降の社会において、その反省として環境保護への取り組みや、自然とともに生きるエコロジー思想が広がったりしている、そのことをまさに予言したものだと言えるでしょう。
そのほかにも、天心の著作には、これからめざしていくべき新しい文明のありかたを垣間見せてくれるようなさまざまな示唆が見出せます。
その意味でも、今日天心を知り、天心を読むということは、単に過去の思想を振り返るという以上に、いま現在私たちが置かれている文明状況の意味を理解し、そこから未来の可能性を展望することだと言えるでしょう。
百年以上前に天心が説いた茶の思想の中に、私たちはどんな未来を見出せるのか。これからみなさんと一緒に探ってみたいと思います。

◆第3回 琴には琴の歌を歌わせよ

【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)

誰が弾いても決して鳴ることがなかった名琴を、名人・伯牙はこともなげに鳴らす。
その極意は、自分の歌を歌わせるのではなく琴自身に歌わせ、琴と自分が一体となることだった。
道教説話に出てくるこのエピソードこそ、芸術に触れる際の「茶道」の極意だと天心は説く。
西欧近代の美学では、しばしば芸術家、鑑賞者双方が我をむき出しにし、自己主張し合う。
しかし、それでは、芸術の本質は理解できない。
自己を空しくし芸術に身をゆだねることによって、自己を超越した「自他一体の境地」に至ることこそ「茶」が教える芸術の奥義だという。
第三回では、茶が教える美の極意「自他一体の境地」や、茶の美意識が貫かれている「茶室」に込められた意味を解き明かす。

{BAC3280E-C59B-408F-9CBF-256F22A8D5A4:01}

{EA7ECEBA-7EFD-4C64-9D23-C0AAFC3C1698:01}

○もっと「茶の本」
{45C0C8F0-43E9-4C55-AF8B-9D799DB6A8F7:01}

私は宇宙と全くうまくやっており、宇宙からこの頃与えられるものに対して感謝、そう大変感謝しております。
私は本当に満足しており、暴れだしたいくらい幸せです。
この部屋まで入り込んできて、枕のまわりで渦巻いている雲に向かって笑いかけるほどです。
(岡倉天心の手紙より)

「もっと『茶の本』」のコーナーではありますが、今回は「茶の本」からではなく、岡倉天心の手紙からの引用にさせていただきました。
どうしてかというと、まさに「茶の本」で描かれた精神をそのまま貫いたような生き方を、天心が最晩年生き切ったと思うからです。
この手紙は、死の直前、天心が大恋愛に陥った、インドのバネルジー夫人に宛てたもの。
ここに、天心の晩年の境地が象徴されているように思うのです。
番組でお伝えしているように、天心が東洋及び日本の伝統精神を凝縮した「茶」から読み解いたものは、禅や老荘から受け継いだ「自他一体の境地」「人間と自然との究極的な合一」というエッセンスでした。
天心はこの「茶の精神」に、「主」と「客」を截然と立て分け二元論的な世界観を構築してきた西欧近代文明を乗り越えるヒントがあると繰り返し訴えたわけです。
そして、天心はそれを思想として展開しただけでなく、自らの生き方としても生き切った。
この手紙で天心は、そのことを「宇宙と全くうまくやっている」と表現しているのです。
時間の都合でどうしても番組に収められなかった部分で、大久保喬樹先生は、そんなことにも触れられていました。
天心の思想は、おそらく出てくるのが100年ほど早すぎたのでしょう。
ときあたかも、「西欧に追いつき追い越せ」の掛け声のもと、近代化の道をまっしぐらに走り続けていた明治時代。
天心の思想は、それに水をさす反動的なものとしてとらえられたのかもしれません。
天心の晩年は決して幸せなものではありませんでした。
かつて日本の美術運動をになった思想的リーダーは批判にさらされ、国内では隠遁を余儀なくされました。
ですが、天心の凄いところは、全くそれにめげないところです。
海外に活躍の場を広げ、日本の文化をわかりやすく伝える啓蒙者としてむしろ海外でこそ大きな注目を集めました。
その流れで著されたのが「茶の本」だったわけです。
この本は、現代でも多くの人たちに影響を与え続けています。
番組第四回に登場する世界的建築家・隈研吾さんの言葉にぜひ耳を傾けてください。
隈さんの近代建築批判の根の一つには、「茶の本」の存在があるのです。
天心の思想は、現代にこそ、生かされていると感じます。
「私は宇宙と全くうまくやっており、宇宙からこの頃与えられるものに対して感謝、そう大変感謝しております」という死の直前の言葉には、隠遁者の弱弱しさなど微塵もなく、むしろ清清しいまでの雄大な境地が感じられます。
司会の伊集院光さんは、いみじくもこの箇所について「『そう大変感謝しております』という風に、「そう」って付け加えて自分自身に言い聞かせるじゃないですか。
で、言い聞かせた跡をちゃんと文章に残すじゃないですか。
書き直すこともできるのに。なんかここの文章、プライベートな文章にも関わらず、すごく説得力があるというか、ぐっときますね」とおっしゃっていました。
晩年、天心が瞑想にふけり、自らの思想を練り上げた場所といわれている茨城県五浦の六角堂をみると、その境地の一端を感じられます。
わずか六畳ほどの、天心が愛した茶室を思わせる空間。
三面ガラス張りの窓を通して目の前にいっぱいに広がる空と海の動き。
天心はこの大自然と向き合いながら思索していたんですね。
ここには今も「人間と自然との究極的な合一」を目指した天心の精神が息づいているように思えます。
最近、とかく「強い日本」ということが声高に叫ばれます。
暗い世相の中で、元気を出す……という意味ではそういうこともあってもよいとは思いますが、天心の「茶の本」を読んで、単に自分を強く押し出すだけでなく、異なる他者をやわらかく受け入れ、自在に生かしていく「しなやかな日本」という日本のもう一つの側面を、きちんと見つめなおしていかなければならない、と痛切に感じました。

◆第4回 花、そして茶人の死

【ゲスト講師】
大久保喬樹(東京女子大学教授)
【ゲスト】
隈研吾(建築家)

天心は、茶道と連携しながら発展した「華道」に着目する。
そして、ここに日本人が自然に対するときの根本思想が現れているという。
現代社会では、花は物質的資源として人間の好き勝手に浪費され、使用済みとなれば無用のごみとなる。
天心はこうした態度が一般化すると、自然環境を人間の都合に合わせて一方的に利用・破壊してしまう人間中心主義に陥ると批判する。
これに対して、茶人はただ花を選ぶだけで、その先は、花それぞれが自身の物語を語るにまかせるという態度を貫く。
いわば「茶」は、自然と人間は対等であることを理想としているのだ。
第四回は、「茶の本」に込められた「自然観」を、世界的建築家・隈研吾さんと読み解いていく。

{7FD2B408-D202-4AD5-A52F-F9E1728384B1:01}

{31FB4E41-B09E-4BE6-82DC-765C08BF4885:01}

NHKテレビテキスト100分 de 名著「茶の本」2015年1月
2014年12月25日発売

○こぼれ話。

「茶の本」と「建築」が、もしかしたら、つながる?

そんな直観がひらめいたのは、一緒に番組を制作している外部プロダクションのメンバーとゲスト案について話し合っていた最中でした。
メンバーの一人が「他の番組でご一緒したことがある隈研吾さんに当たってみましょうか?」との提案をしてくださったときのこと。
実は、私も「森舞台」という隈さんの作品をみて以来の大ファン。
脳裏に隈さんが設計した建築が幾つか浮かび、なんだか岡倉天心が論じている「茶室」のイメージと隈さんの建築が重なってみえてきて……。

そういえば、隈研吾さんのキー・コンセプトは「負ける建築」。
これってもしかすると、天心のいう「虚」の思想に通じるものがあるのでは……と次々に連想がつながっていくものの、「分刻みで世界中を飛び回っている隈さん、まさかアポをとれないだろうなあ」と半分諦めていたのでした。
ところが数日後、「アポとれました! しかも『茶の本』にとても思い入れがあるそうですよ」との報告が届き、正直色めきたちました(笑)。

世界の隈研吾が「茶の本」を語る!

岡倉天心の思想が現代に生きていることを示す事例としてこれ以上タイムリーなことはないなあと興奮しつつ収録日を迎えました。
まさにその期待通りの天心論を展開してくださった隈さん。
第四回まで番組をみていただいた皆さんも、同じような感想をもってくださっているのではないでしょうか?

番組では全てご紹介しきれなかった、「茶の本」と隈研吾さんが通じ合う部分について、ちょっとだけご紹介しましょう。

建築における「孔」=岡倉天心が論じる「虚」

隈さんは、「ぼくは建築自体を作るよりも、むしろ『孔』を作りたいのかもしれない」と、著書の中で書いています。
番組でもご紹介した「那珂川町馬頭広重美術館」をみてもわかるとおり、隈さんの建築には、真ん中にぽかーんと「孔」があいていることが多い。
で、建築の向こう側に美しい風景が借景のように見えて、周囲の自然と見事に調和している。 
取材の際に、隈さんは、建築の中に「孔」を設けることで、人と人や、異なるもの同士をつなぐ「通路」を作り出したいんだ、ということをおっしゃっていました。
これは、まさに天心のいう「虚」の思想の応用ではないか?建築の中に「虚」を設けることで、無限の可能性を呼び込む。
そこに人の流れを呼び込んだり、四季折々の風景をとりこみ大自然と調和した美を生み出したり……。
まさに「茶の本」の見事な応用だと感じました。 

コンクリートではなく「積み木」=かりそめの家としての茶室

「コンクリートはとりかえしがつかない素材だ」と、やはり隈さんは著書の中で書いています。
コンクリートは、一度できてしまったら周囲を支配してしまうような威容をつくってしまいます。
隈さんはそのことを「全体主義的」と表現します。
ところが「木」は、気に入らなかったらすぐ壊せ、また元に戻せる。
とても「デモクラティック」な素材だといいます。
隈さんは、幼い頃、「積み木」が大好きで、何かを積み上げては壊す遊びに飽きることなく興じていました。
そのことが、「木」という素材の面白さに気づく原点だったのではないかと語っていました。
これは、まさに天心のいう「かりそめの家としての茶室」の思想と相通じると感じました。
「茶室」は後世に長々と残すものではなく、そのときの茶人の好みに合わせて、その場限りでしつらえるのが理想だと、天心はいいました。
それが「数寄家」に「好き家」という言葉が当てられる理由だと。
変転極まりない「移ろい」にこそ美を求める日本の美意識がここにあります。
隈さんの発想の原点はここにもありそうです。

「条件をいったん全て受け入れるところから、新しいものが生まれる」

失われた10年といわれる90年代、地方で伝統の技を守り続ける職人達と仕事を続ける中で、隈さんがみつけた「負ける建築」というコンセプトを一言で言い表すとこういえるでしょうか?
近代建築に代表される、周囲を威圧するような「勝つ建築」ではなく、変化してやまない状況やあらゆる条件をしなやかに受け入れる「負ける建築」。

ここには、岡倉天心が「茶の本」に描いた精神が生き生きと息づいているような気がします。

ともすると、「強いこと」「勝つこと」が強調されることが多い現代の日本にあって、岡倉天心が放つメッセージは、今こそ、より輝きを増し始めていると思えてなりません。