■政治家と宗教家の共通点 | 石田久二公式ブログ

石田久二公式ブログ

旧サイトです

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


さっきふと思ったのですが、つくづく政治と宗教(スピリチュアル)は似てるんじゃないかって。どこが似てるかと言うと、それは「煩悩に支配されてると務まらない」ということ。政治家の仕事は世の中を良くすること。だけど、やってることはほとんど選挙対策。もちろん選挙で選ばれないと政治はできないのだろうけど、選挙はあくまで手段でしかない。だけど、多くの政治家にとって選挙は完全に目的化している。


今の野田総理にしても、野党時代は増税絶対反対だったのが、選挙で勝ったとたんになかったことに。「子ども手当」も「高速道路無料化」も最初から期待できなかったけど、やっぱりなかったことに。昔、小沢一郎が「公約は膏薬。張り換えれば効き目が出る」とよく言ってたそうですが、それが政治家の本音。政治家も選挙落ちればただの人。そうならないためには、嘘でもハッタリでも印象操作でも洗脳でも、なんでも使って勝つしかない。


それに比べると、橋下大阪市長はちょっと違う感じもする。橋下市長と他の政治家との決定的な違いは、橋下市長は「プロ」じゃないこと。この場合の「プロ」とは選挙のプロの意味で、揶揄を込めた言い方。もちろん橋下市長も当たり前に選挙活動はしてたのでしょうが、正直、彼は落ちてもびくともしない。元々、弁護士でタレントで十分に稼いでいたので、落ちたところでいくらでも食っていける。だけど、並の政治家は落ちてしまえば借金取りが事務所に押し掛けるだけ。


その点から見ると、橋下市長は少なくともお金に対する煩悩はない。平たく言えば、やっぱりお金にとらわれない人に政治をやって欲しいと思うし、そうなるとどうしても経済的に成功した人じゃないと務まらない。それに近かったのが、元総理の麻生太郎氏ですが、個人的には惜しい人材だったと思っています。故・中川氏とともに。


それと同様、宗教やスピリチュアルもやっぱりお金に対する煩悩の強い人には語って欲しくないものです。その人たちの仕事は人の心を良くすること。だとすれば、自分自身が一番満たされてなければ意味がない。だけど、そんな人は決して多くなく、目につくのは人を脅して金品を巻き上げようとする宗教家やその類の人たち。その人たちは自分自身を「目に見えない世界が見える人」とラベリングしているので、もう言いたい放題。お布施をケチったら成仏できないなど、確かめようのないことで脅してくる。ヒーリングやリーディングなどもそうで、あそこが悪いだの、天使がどうのこうのとか、確かめようのないことで相手を脅し、そして金品を巻き上げる。


それは完全に言ったもん勝ちなので、自らの煩悩を満たすために、人々はまるで打ち出の小づち。なので、私はしばしば言います。お金に困った占い師、チャネラー、拝み屋、またはカウンセラー、コーチ、コンサルタントに仕事を頼んではいけませんよ、と。人は煩悩に支配されると弱くなります。相手のことを考えると言いながら、どうしても自分を優先させてしまう。


だから、すごく逆説的なことだけど、政治家にしても宗教家にしても、煩悩を消滅させるよりも、ガンガンに稼いで煩悩を焼き尽くしてしまった方がいい。清貧を装うよりも、「お金は十分にありますよ」って状況を見せた方がいい。だから、やっぱりまずは実業でしっかり稼いで、そこに「使命」が芽生えたら、政治や宗教(スピリチュアル)の世界に入る方が健全だと思っています。