■祈り | 石田久二公式ブログ

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こんばんは、石田久二です。最近、アメブロの方も再び更新するようになりました(笑)


今日は「祈り」について書きたいと思います。以前、とあるお寺(真言宗)に行った時、不動明王のお堂の壁に目立たぬように一枚の紙が貼りつけてありました。よく見ると、箇条書きで何やら書いてあるのですが、すべて同じ文言でした。


「〇〇(おそらく息子さんのお名前)が学校で虐められませんように」


と10回ほど書かれているのです。基本的に神社の絵馬や、お寺、協会等での願いごとは見ない方がいいと言われているので(見てしまいましたが)、そのまま何もせずに去ることにしました。しかし、その後、しばらくその願いごとのことが頭から離れませんでした。


おそらくそれを書いた親御さんは、息子さんが虐められなくなることを必死で祈っているのでしょうが、この祈り方は実は「逆効果」なのです。これは「願望実現」の基本中の基本と言えること。


つまり「潜在意識」は「否定形」を理解しないため、この祈り方では、むしろ「虐められること」を引き寄せてしまう結果になるのです。「現実」とは普段、無意識にしている「イメージ」がそのまま反映されるもの。つまり、「虐められないように」では、その親御さんのイメージするのは「虐められている姿」そのものとなり、それが「現実」に反映されてしまうのです。


「ピンクのゾウを想像しないでください」


と言われても、絶対に「ピンクのゾウ」を想像してしまいますよね。それと同じように「虐められないように」では、「否定形」は識別されないがために、願っているとは逆のイメージが浮かび、それを引き寄せる結果になるのです。


私がコーチングや願望実現法について学び始めている時、そのことに深く気づき、それ以来、否定形での願望や祈りを一切やめました。そしてどちらかと言うと心配性な母に対しても、帰省中にその話をしてあげました。


母は昔から、私たちのことを祈る時、つい「怪我をしませんように」に祈っていたとのこと。もちろん「健康でありますように」とか「大学に合格しますように」と祈ったりもしていたのですが、振り返ってみると「否定形の祈り」が多かったと言います。


還暦を過ぎてからそのことを知り、それから一切、「否定形の祈り」をやめたところ、次々と家族に「幸運」がやってくるようになりました。もちろん私自身も、それ以来、自分の思い通りの人生がほぼ実現しています。


ですので、

「嫌われませんように」よりは「愛されますように」
「失敗しませんように」よりは「成功しますように」
「叱られませんように」よりは「褒められますように」
「仕事を失いませんように」よりは「今よりももっといい仕事ができますように」


などの「祈り方」に変えるだけで、人生は瞬く間に変化していきます。ぜひ実践してみてください。ちなみに「願望形」よりも「完了形」の方がいいとの話もありますが、別の機会にまた書かせて頂きます。


そして、加えて言うなら、、、

「地震が来ませんように」ではなく「いつも幸せに過ごさせて頂きますように」

の「祈り方」をする方が、実は祈りの効果が高いことはお分かり頂けると思います。さらに言うならば、

「いつも幸せに過ごさせて頂きありがとうございます」

と毎日、感謝する。そう、実は「感謝」ほど効果の高い「祈り方」はありません。そして「感謝」の対象はどこにあるのか。それはまさに「今、ここ」です。私たちにとっての「現実」は常に「今、ここ」にしかありません。それ以外はすべて「幻想」です。


常に「今、ここ」に「感謝」することを習慣とし、そして人生そのものとする。それが真の「喜び」であり「幸せ」なのです。


もし今、自分自身の「祈り方」を振り返ってみて、その中に「否定形」があったとすれば、文章をすべて「肯定形」に治して祈るようにしてください(例:「不幸になりませんように」→「幸せになりますように」)。そして「今、ここ」に感謝する。


そのことによって間違いなく今日から人生が変わります。100メートルの定規が2本あったとして、それぞれの角度をたった1度変えるだけで、確かに手元では違いがわかりませんが、100メートルでは、ものすごい開きがあることは想像できるでしょう。


ですので「祈り方」を「否定形」から「肯定形」にするだけで、まさに今日から人生が変わり始め、100日後には今までとまったく違った人生を歩んでいることに気が付くでしょう。それは私や私の母、そして多くのクライアント、ブログ読者さんたちが実証済みです。


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さて、この数日、ちょっとお騒がせしていた件について、もう一度、しっかりと意見を述べさせて頂きたいと思います。例の「予言ブログ」について。すでにブログごと削除されているので、今さら言うこともないのですが、いまだにツイッターや掲示板、ブログ上で話題になっているようですので、今一度、私の意見をまとめさせて頂きたいと思います。



【予言の真実】

結論から申し上げますが、私は「予言」が嫌いです。正直に申し上げて、個人的に嫌いなのです。しかも私の予言嫌いは今回に始まったわけではありません。以前から書いている「宇宙となかよし」と言うブログでは、何度もそのことについて触れています。


なぜ「予言」をそこまで嫌うかは、個人的ないろんな原因があるのですが、今ではそのような個人的な感情以上に、「世の中を不幸にする」との確証があるからです。ただし、ここで言う「予言」とは「不幸な予言」のことであり、世の中には圧倒的に「不幸な予言」が多いです。または、「不幸な予言」しか話題に上がりません。


そして今回、ミクシィのタイムライン上でその「予言ブログ」を目にしたのですが、その内容のあまりの酷さに、思わずコメントしてしまったのがことの始まりでした。311の震災後、何度もそのような情報を目にしていたのですが、今回はたまたまインパクトがあったのでしょうね。


そのブログ主と対話してみたいと思って、「実名+携帯番号」を記して書き込みました。どのような意図があってそのような情報発信しているのか、何を根拠にしているのか。真摯な態度でたずねて対話してみたかったのです。もしもそのブログ主が本気の「使命感」を持っているのであれば、応えてくれるはずです(しかし、最初からそんなつもりもないだろうとは思っていましたが)。


それはともかくとして、どんな理屈があろうとも、「(不幸な)予言」が人々を幸せにすることは絶対にありません。中には防災意識が高まると言う人もいますが、そんなのは当たり前のことで、予言によって初めて高められるものではありません。


なぜ「予言」が人々を幸せにしないのか。それは先ほど書いた「祈り」のメカニズムにも関係あります。例えば「8月某日に巨大地震が起る」という予言をしたとします。それも今回の「予言ブログ」のようにかなり詳細に。


そして1,000人が一斉に「8月某日は地震が起りませんように」と祈ったとします。するとどうなるか。先ほど「祈り」には「否定形」がないと言った通り、「予言ブログ」が描写したような大惨事がその1,000人のイメージに広がります。


本位ではありませんが、あえて「霊的」な表現をすると、「予言」をさせる霊的主体とはすべて「悪魔」の類です。決して幸せを運ぶ「天使」ではありません。詐欺師が名刺に「詐欺師」とは書かないし、そもそも詐欺師っぽく見えないように、「悪魔」が「悪魔」の顔をしてやってくることはありません。


例えば「8月某日に地震が起る」などの情報を、詳細な描写とともに流したらどうなるか。純粋な人は素直に「地震が起りませんように」と祈り、そして「地震」そのものをイメージングすることでしょう。そうやって局所的に地震のエネルギーを高めて、それを現実化してしまおうってのが「悪魔」のたくらみです。


もちろん「天使」や「悪魔」は比喩的な表現ではありますが、地震のイメージを特定時間に、そして一か所に集めることは絶対にあってはなりません。例えばこう考えればわかりやすいと思います。もしも自分の友達10人から、ある特定の日に一斉に「交通事故に気をつけてね」とメールをもらったらどうでしょう。


「なんで?」と聞いても「なんとなく」としか答えません。全員。どんな気分がするでしょうか。そしてどんなイメージが広がるでしょうか。もしもそんなことが一度だけでなく、何度もやられたらどうでしょうか。きっと神経がまいってしまうんじゃないでしょうか。


実は似たようなことを私も経験したことがあります。あるチャネラーさん(自称)から、突然、聞いてもいないのに「あんた、ぶっ倒れる」と言われたのです。そして「私じゃなくて、天使が言ってる」と言うのです。それはそれで不愉快になったのですが、問題は後日のこと。元々私の友達だったはずの、そしてそのチャネラーさんのことを信頼している人から、「ぶっ倒れないでくださいね~」と一斉にメールを頂いたのです。さすがにぶっ倒れそうになりました(笑)


地球だって同じです。「地震が起らないように」なるエネルギーを一斉に集めたら、どうなるか。何より祈ってる人も精神衛生上よくありません。


実は本物の「天使」はたった一言しか言葉を発しません。それしか知らないようなのです。本物の天使は。その一言とは、、、


「大丈夫」


です。私は2005年5月17日に、その「本物の天使」に会うことができました。もちろん「天使」はメタファーですが、そこで私は絶対的な宇宙の真実を知ることができた。あれから6年が経ちますが、今までの月日はまさに、そのことを「確認」するための毎日でした。そして今のところ、それは完璧に実証されています。


大丈夫。絶対大丈夫。どっちに転んでも大丈夫。何があっても大丈夫。そもそも大丈夫。


そんな「真実」を知ってしまえば、もう「感謝」するしかないじゃないですか。まさに「今、ここ」に感謝する以外に、私に何をすればいいって言うのでしょうか。ただ、感謝しながら、自分らしく生きる。本来、私たちはそれだけで十分なのです。アナタも大丈夫、いや、アナタが大丈夫なのです。


そうなると、自ずとわかるはずです。「(不幸な)予言」がいったいどこから来ているのか。



【地震の真実】

今の話と矛盾に感じる部分もあるかもしれませんが、「地震」についてもはっきり申し上げておきます。「祈り」で「地震」を回避することはできません。


「地震」とは何か。それは「地球の鼓動」です。地球が誕生して約46億年。最初の生命が誕生してから38億年。そして人類が誕生してから500万年。私たちホモサピエンスが誕生してから高々10万年と言われています。それまでの地球の歴史とは、まさに地震の歴史でした。激しくぶつかる大地と海。その間、多くの生物が誕生しては絶滅していきました。


そしてそんな「地球の鼓動」も落ち着きを見せ、ようやく人類が育つ土壌ができ始めたのが500万年前。それ以降も何度も何度も地震を経験しているのですが、それは地球が生きているからこそ起っているのです。そしてこれからも起り続けるでしょう。そして少なからずの人命を失うことも避けられないでしょう。


日本列島には約2,000もの活断層があり、今も活動しています。そしてそれぞれの活断層の動きが、ある点に達すると、必然的に「地震」が起るようになっています。しかしそれは必然なのです。所詮、私たち人間は「地球」によって生かされているだけ。


「人間」が「地球」を支配しているのではなく、人間は常に地球によって生かされているだけなのです。地球が生きているから、人間も生きられる。つまり地球が生きていく上で必要なその「鼓動」を私たち人間が変えることなど土台不可能なのです。「祈り」によって「大阪市」の地震が「大崎市」にズレたなどギャグとしか思えません(2~3年前にありました)。


「祈り」が地球の動きを決めるのであれば、東北地方の人たちは祈ったことがないのか。そんなことは決してありません。そしてもし、私たちが「祈り」によって自在に地震をコントロールできるのであれば、それは環境破壊も甚だしいと思わないでしょうか。


私たち人間にできることは、地震を消したり、ずらしたり、分散したりするよう祈ることではなく、地球に生かされていることに感謝すること。それしかないのです。少なくとも私は、いついかなる時も「地震が来ませんように」とは祈りません。「いつも生かして頂いて感謝しています」としか考えられないのが、本当の本音です。でも、もちろん私たちの「命」は尊いので、地震や津波に備えることは当たり前に大切です。




【2ちゃんねるの皆さんへ】

今回、例の「予言ブログ」にコメントしてから、私の名前が「2ちゃんねる」に登場していると聞きました。基本的に2ちゃんねるは見ないのですが、今日、関連する掲示板を読ませて頂きました。


最初に申し上げておきますが、私は2chには一切書き込みをしていません。ウソついても仕方ないし、もしも書き込むことがあれば、その時は「実名」で書きます。そして書いたことをこのブログで報告します。しかし、今後もそれはないと思います。



「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログなぜなら「実名」と「匿名」での話し合いは不毛だから。建設的な意見交換ができません。なぜなら意見交換には最低限の節度と礼儀が必要と考えていますが、2chはそもそもそのような場ではないから。自由に発言するのは結構ですが、私はその場には入りません。もしも私と意見交換がしたければ電話かメールでお願いします。


2chにも私の携帯番号が書かれていましたが、今まで電話をしてきた人はたった一人です。それは「応援しています!」なる電話でした。札幌の男性の方、ありがとうございました。ただし、その方は2ch経由ではなく、「宇宙となかよし(ブログ)」の読者さんでしたが。


それから、いくつかお伝えしたいことがあります。まず、私は例の「予言ブログ」の筆者を訴えることはありません。「対応」とは書きましたが、告訴は最初から考えていません。なぜなら私は被害者ではないし、司法関連の資格も持っていないから。


もしできるとすれば、風評被害にあった人たちの声を集めて、株式会社サイバーエージェントに内容証明で送りつける程度のこと。もちろん書面としては、警察の出動を含めた、調査の依頼を示唆します。それ以外にできるとすれば、一時的に私が窓口になって、実際の被害者の相談に乗ること。


その際、例えば商工会や旅館組合などを中心とした「812被害者連絡協議会(仮称)」の設立と協議に関するアドバイスを電話で行うことはあっても、実際に動くのは「協議会」です。私が現地に赴くこともありません。自分たちの財産は自分で守ること。そのことに関しては、私も賛成ですが、ブログ主を追いこむことが目的では決してありません。


すでにそのブログは削除されており、これ以上、私が関わることはありません(この記事を最後に)。2chを見ると、確かなことかわかりませんが、ブログ主(と思しき人)の名前まで書かれていました。私のことなどはいくら叩いてもいいですが、そうやって名前を曝すことに何の意味があるのでしょうか。


何度も言うように、私は「予言」が嫌いです。そんなブログも嫌いです。だけど、「罪を憎んで人を憎まず」と言うように、ブログが消えた以上、そのブログ主をどうこう思う気持ちはまったくありません。何の目的があってその人物を追求するのでしょうか。もしも風評被害の弁済が目的であれば、それは被害当事者が正々堂々と求めればいいだけ。そしてそれ以外に、ブログ主を追求する必要性はないはずです。


それから、「8月某日」に地震が起るかどうかの話ですが、私は「ない」とは言っていません。もしそのような記述があれば、それは訂正します。言葉の綾だと思います。そもそも地震なんて、いつでもどこでも起りえるのです。それをもし、「ある・ない」の話に持ち込むのであれば、それは私自身も「予言」してるのと同じこと。さすがにスカイタワーが折れたり、成田空港が水没するようなことは考えられませんが、地震そのものはいつだって可能性がある。しかし、それと「予言」とは何の関係もない。そのことを言っているのです。


なので、「8月某日に本当の地震が来たら責任取れるのか」なる意見については、「取れるわけない」が答えです。それでももし、私に何らかの責任を追及したいのであれば、その時にきちんとした手続きで求めてください。真摯に応対させて頂きますので。


以上、今日、2ちゃんねるを見て思ったことです。他にもあったかもしれませんが、忘れました。そしてもし、何か意見があれば、電話かメールがありがたいですが、それに抵抗があれば、この記事へのコメントでも結構です。返事は100%しますので。


あ、それからもう一つ思い出した。私が「カルト」かどうかって話ですが、何をもってカルトと定義するかわかりませんが、私自身は無宗教ですし、そもそも組織が苦手なタイプです。そして精神世界は大好きですが、オカルトやサイキックは嫌い。占いはいいとしても、前世とか霊とかは問題外。


私はどうやら「スピリチュアル」のカテゴリーに入っているようなんですが、きっと同じカテゴリーの9割の人から嫌われているでしょうね。むしろビジネス系の支持の方が高い。そんなところです。教祖になるつもりもまったくありません。依存されるのは面倒だし、そもそも困っている人をお救いしようなどの使命感も持っていません。少なくとも今は。


だけど、ご縁あって、私が何かお役にたてるのであれば、全力で取り組みたいとは思っています。精神世界も一人で探求し、しこしこと自己満足ブログで発表して、時々、人前でしゃべらせて頂ければ、それで幸せです。あとは、旅行や飲み会も好き。9月にはグループでインドにも行きま~す!


そんなとこかな。長くなりましたが、この辺で。ありがとうございました。