潜在意識の性質(2)~もしかしてバカ?~ | 石田久二公式ブログ

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前回 の続き)




「潜在意識」は「安心・安全」を求める。


これが「潜在意識」をしっかり理解する上での大前提となります。



高所恐怖症の人は、おそらく小さい頃、お父さんから落とされて、その時の恐怖を潜在意識は大人になっても覚えています。


乳幼児にとって、大人の背の高さは、家の二階に匹敵するもの。


それで「高い所=恐怖」という図式をしっかりインプットしてしまい、それが大人になってもずっと続くのです。



高所恐怖症に限らず、世のあらゆる「恐怖症(フォビア)」はそうですし、ちょっとした苦手意識、逆に好意なども、過去の経験・体験によって得た影響を、潜在意識はしっかりと覚えているもの。


髭を生やしている人が苦手な女性(または男性)がいたとします。


その人には、髭を生やしている人を嫌う明確な理由などありません。


自分でもなぜ嫌いなのかわからないものです。



それもおそらく幼少期に、よく叱られたオジサンや、いかにも怖そうなオジサンのトレードマークが「髭」だったことで、「髭=怖い」と潜在意識が受け入れてしまったからなのです。


そのように、「潜在意識」は「安心・安全」を求めんがために、恐怖症や苦手意識という「反応」を起こすことで、その対象(高い所や髭の男性)から遠ざけようと、必死で頑張っているのです。



ただ、今現在、絶対に安全だとわかっている高い場所や、性格はめっちゃいいのに髭を生やしていいる人を、むやみやたらと嫌うことは、生活上、得になることは決してありません。



「意識」ではわかっているのです。


そこが高いからと言って、決して危険な場所ではないことを。


髭を生やしている彼が、決して怖い人ではないことを。



それでも「潜在意識」は一度インプットしてしまった「刺激→反応」のプログラムを捨てることはできないのです。


潜在意識は何とも意固地で、さらに言うとバカなのかもしれません。



という話をして前回の続きとなります。



結論から言うと、潜在意識は確かに物覚えはいいです。


昔のことをそんなにしっかり覚えているわけですから。


でも、今はもう必要のない記憶(つまりプログラム)までずっと引きずって、

しつこいと言うか、潔くないと言うか、やっぱりバカなのかもしれません。




こんな話があります。


1945年に日本は太平洋戦争で敗戦をきっしました。


日本は焼け野原から、30年後には世界の経済大国へと復活し、極めて高い生活水準を実現することができました。


しかし、その30年間、太平洋のある島で、ずっと連合軍と戦い続けた、正確に言うと日本を守り続けた旧日本兵がいました。


その日本兵は戦後30年を経て発見されたのですが、戦争が終わって、日本が敗戦したことも知らず、ずっと日本を守り続けていたのです。


その日本兵は日本中で話題になり、中にはその日本兵を揶揄するパロディなども作成されました。



しかし、私たちはその日本兵を笑うことはできるのでしょうか?



決してできないはずです。なぜなら、その日本兵は、私たちの「潜在意識」そのものなのだから。


乳幼児期にお父さんの手が滑って落とされた。


それが恐怖心となり、安全だとわかっている場所であっても、単に「高い」だけで身がすくんでします。


つまり、乳幼児期という「戦争」は終わっていたにも関わらず、潜在意識だけはずっと戦争を続けていたのです。



旧日本軍は、その日本兵をあざ笑うことはせず、祖国を守り続けた忠誠と勇気を讃えました。


そしてその日本兵の元上官は、軍服を着て、軍艦で島に上陸し、30年を経て、ようやく「命令」を解除したのです。


それによってその日本兵は、ようやく戦争が終わったことを受け入れたのです。



潜在意識はかたくなに私たちを守り続けています。


もういいんだよ・・・


私たちは潜在意識に対して、命令解除を行う必要があるかもしれません。


そしてその命令解除のことを「癒し」と言います。




早くも深いところまで入ってしまいましたが、潜在意識のことを少しおわかり頂けたでしょうか?


潜在意識は私たちのことをずっと守っているのです。


決してバカにしてはなりません。



この話をもう少し続けたいと思います。