日本はアジア解放の為の戦争を行いました。大東亜戦争です。
インドネシアは約350年の間、オランダに侵略されていました。
日本軍はインドネシアからオランダを追放しましたが、
後に日本は敗戦しました。その後、オランダはインドネシアを
再び支配する為に戻って来ました。
日本へ、家族の元へ帰れるにもかかわらず、2000名の日本軍人は、
「我々は、アジア解放の為に戦っているのだ」
とインドネシア解放の為にインドネシアに残り、戦う事を決心しました。
その内、半数が戦死しました。
独立戦争で戦死した日本兵はジャカルタの英雄墓地や各地の
英雄墓地で祀られています。
1958年に訪日したスカルノ大統領は、インドネシア解放戦争に殉じた、
市来龍夫氏と吉住留五郎氏に感謝の言葉を送りました。
その石碑が東京青松寺に建てられています。
大東亜戦争において我々日本人の祖先は他国の人々の為、
アジア解放の為に自らの命をかけ戦いました。
インドネシア・ブン・トモ 元情報相
「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に
打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、
独立は近いと知った。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。
それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない。」
(昭和32年、来日の際の発言)
靖国神社を参拝した、インドネシアのアラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相
サンパス元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝する事は、
戦争が終わってから日本軍人約2000人が帰国せず、
インドネシア国軍と共にオランダと戦い、
独立に貢献してくれた事である。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、
功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」
アラムシャ元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、
350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたが
オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって
圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、
たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」
モハメッド・ナチール元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私達アジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」
「インドネシアの独立戦争では、3000名の日本兵が
インドネシア独立の為に戦ってくれました。
インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を
今の日本の若い人達は、ほとんど知りません。残念でたまりません。
私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を
きちんと日本で語り継いでほしいと思います。
そして、インドネシアへ来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る
日本兵の奥城にお参りして下さい」