台湾政策に最も打ち込んだのは、第五代総督の佐久間左馬太であった。
 
当時、すでに70歳を超えていた佐久間総督は、
陸軍大将でもあったが総指揮者として陣頭に立ち、山に入り、

陣頭指揮をするなどというのは、実に前代未聞の事であり、
その意気込みと「理蕃」に対する決意が伺われる。
しかも、わざわざ退役を延ばしてまでの出陣だった。

学校では教えない ~本当の日本の歴史~ 
佐久間左馬太氏


原住民を日本観光旅行に連れて行くことも、
台湾総督府の「理蕃」政策の一つであった。
台湾施政二年目の明治30年、高砂族の日本内地観光が実施された。

台湾総督代理の立見軍務局参謀長は、
出発に際して次のような訓辞を述べた。

「日本人も往時は戦いに望み、

首級をたくさんとる事を手柄とした時もあるが、
これを改め刻苦勉励し、今日の繁栄を見た。

汝らも内地同様になるように努力して欲しい」


黄文雄氏著 「台湾は日本人がつくった」より



学校では教えない ~本当の日本の歴史~