チャンドラ・ボースといえば、インドではガンジーやネルーと並ぶ、

インド建国の三英傑の一人として知らない人はいない。


学校では教えない ~本当の日本の歴史~ 


武闘派のボースは何度も投獄されていたが、昭和16年にインドを脱出、

アフガニスタンを経由してドイツに亡命した。

ドイツにいた時、ボースはヒトラーに、

「もしモスクワまで攻め込むならば、ついでにインドまで来てほしい」

と頼んだというが、ヒトラーは、

「インドが独立政府を持つ状況に達するには、

まだ少なくとも150年かかる」と冷たく断った。

そこで今度はドイツの潜水艦に乗って日本へ向かった。


学校では教えない ~本当の日本の歴史~ 


日本はボースを後押しする為、潜水艦でマダガスカル沖合に出迎え、

彼をシンガポールまで連れて来た。

そして日本軍の占領下にあったインド領アンダマンとニコバル諸島を、

自由インド仮政府に帰属する領土とし、

インド独立の三色旗を挙げさせた。


英印軍の捕虜からINAの将校になった2万人近い軍人達が、

裁判にかけられた時、主席弁護士を務めたインド法曹界の長老、

パラバイ・デザイ博士は

「INA将兵はインド独立の為に戦った愛国者であり、

即時釈放すべきだ」と強く主張した。


学校では教えない ~本当の日本の歴史~ 
インドのオールドデリー市街、チャンドラ・ボース公園の
インド独立義勇軍と日本兵の像



また、裁判で召喚された最後の光機関長・磯田中将、

ビルマ方面軍参謀長・片倉中将など日本の軍関係者や、

外務省関係者のいる前で、

デザイ博士は堂々とこう言った。


「インドは間もなく独立する。

この独立の機会を与えてくれたのは日本である。

インドの独立は日本のおかげで30年も早まった。

インドだけではない、ビルマもインドネシアもベトナムも、

東亜民族は皆、同じである。

インド国民はこれを深く心に刻み、

日本の復興には惜しみない協力をしよう」



黄文雄氏著 「捏造された昭和史」より



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