不妊治療中の忘れられない出会いのこと | 育児やら何やらバタバタしがちな日常 in イギリス

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イギリスでの生活、子供たちのことなど。

さて、ブログを始めた時からいつか書きたいな、と思っていた不妊治療中のこと。

ちょっと長くなりますが、最後までお付き合い頂けると幸甚です。

 

 

私にとって2018年は、最もストレスフルな年でした。

 

体外受精にすっごいお金を使いましたし、人生で一番泣いた年だと思います。

 

厚い黒雲の隙間から差し込む太陽のように、ところどころで息子の成長を喜んだり楽しいこともあった筈なんですけど、何をしても心のどこかに焦燥感というか、不安が重くのしかかっていて、心の底から笑えたことなんて何回もなかった気がします。

 

こればっかりは、実際に経験した人しかわからないことのひとつだと思いますが、とにかく希望と絶望の間で激しく揺れうごく、感情のジェットコースターという表現がぴったり。

 

自分でも楽観的なのか、悲観的なのかよく分からないんですけど、移植にしろ、タイミングにしろ、その後は毎回違う症状が現れて、我知らずすごい期待しちゃうんですよね。


で、その後に生理がきてガタンと絶望の底に突き落とされることの繰り返しでした。

 

私の担当になってくれたコンサルの医師は、40過ぎてんだからさ!もっと自分を律しろよ!って、絶対思ってたと思う。

 

初回の体外受精が失敗に終わった後、先生の前でトトロのメイちゃんみたいな泣き方で泣いたこともありますし。

 

メイちゃん(画像はお借りしました)

 

とにかく、自分の見通しが甘かったこと、きちんと自分の身体のことを知っていなかったこと、何度も本当に後悔しました。


まあ不妊治療に至るまでの原因や経緯は色々あるんですけど、今回書きたかったのはそのことではなく、そんな不妊治療の日々の中、お友達の新居でのパーティーで出会った忘れられない出会いについてでございます。

 


 

あれは2018年も終わりに差し掛かった時のこと。

 

その頃の私は、精神的にかなり参っていました。

 

息子の時はホントに速攻、自然妊娠したものですから、問題があるとも思わずに、楽観的にタイミング法から始めた妊活は、結果が出ないまま長引く一方で。


その頃には、息子を出産した時の母親学級の仲間や周りのママ友はとっくに次々と2人目の子供を出産したり、妊娠したりしていました。

 

息子も周りのお友達が次々とお兄ちゃん、お姉ちゃんになるのを見て、自分はいつお兄ちゃんになるのか、早く弟か妹が欲しい、と口にするようになっていましたし、私も夫も最初から子供は2人欲しいと思っていました。

 

不妊治療を受けることを決意した後も、全ての検査を終えるのに結構な時間を費やしたんですけど、下手にAMH(卵子がどの程度残っているのか、を予測する検査。高ければ高いほど、まだ卵子が残っている)が年齢のわりにかんなり高かったものですから、お医者さんもすごく楽観的で、クロミッドで排卵さえすればいけるんじゃないの、ってな感じだったんですよね。

 

で、クロミッドを3周期したんですけど不成功に終わり、とうとう体外受精を決意したんですけど、いかんせん、しつこいようですけどAMHが突出して高かったもんですから、看護婦さんにも

 

あなたは多分一回の採卵でたくさん卵が取れるから、一回の採卵で妊娠できるわよ

 

とか言われて、否応なしにも体外受精に対する期待はマックスだったんですね。

 

ですから、一回目の体外受精が散々な結果で終わった(14個も採卵されたにも関わらず、1個しか胚盤胞は残りませんでした)時には、大打撃でしばらく立ち直れずに、息子の前では笑顔で暮らしてても、夜になると毎日泣き暮らしていました。

 

辛すぎて不妊治療について話す気にもなれず、周りのママ友にも、

 

なんで二人目作んないの

 

とか聞かれては、

 

いや、うちはいいかな、と思って。

 

とか答えて、不妊治療のことは、(一人以外は)誰にも言わず、二人目をトライしていないフリをしていたんです。

 でもそんなフリをすればするほど、自分が惨めで、もう2度と子供を授かることはないんじゃないかという恐れで、毎日鬱々として過ごしていました。

 


そんな中、お友達が新居に引っ越しをしたので、新居のお披露目パーティーがあったんですね。

 

気持ち的にはパーティーって気持ちじゃなかったんですけど、流石に友達の祝い事ですから夫婦揃って出席することにしました。

 

で、友達の家に着いたんですけど、その主役のお友達夫妻にも子供達がいますし、招待客も子連れが多かったので、子供たちがもう群れになって遊んでいたんです。

 

秋も随分深まってた時期だったんですけど、なんだか生暖かい日で、子供たちはウワーっと庭に走り出て行って、当然ながら息子もその中に速攻飛び込んで行きました。

 

私も色んな人とおしゃべりしてたんですけど、パーティーも中盤過ぎた頃にですね、1歳くらいの赤ちゃんを抱っこした女の人と近くになって、何となく一緒に話してたんです。

 

最初は、お子さん何歳ですか、とかそういう感じで始まって、しばらく子供のことを話してたんですけど。

 

その方、仮にジェーンさんとしますが、そのジェーンさん、もう女の子二人が上にいて、腕に抱えている子は3人目だったんですね。

 

で、

 

え、3人!すごーい!

 

って話から、

 

あなたは?お子さんは、息子さん1人?

 

って聞かれて、

 

はい、うちは1人なんですよ、

 

って普通に答えたつもりが、私、やっぱりすごくぎこちない言い方になってしまって、ジェーンさん察したんだと思います。

 

さっと話題を変えて、腕に抱えてる男の子を見ながら、あっけらかんと

 

この子ね、養子なのよ。

 

って言ったんです。

 

私、ちょっと虚をつかれて、思わずその子をマジマジ見ちゃったんですよね。

 

そう言われれば、ジェーンさんの上の女の子二人はどっちかというとエキゾチックな、オリーブ色の肌をしているのに対し、息子くんはミルクのように真っ白な肌で東欧系の顔立ちをしていたので、そう言われると、そうなのね、って感じでした。

 

でも、白人系の子供たちって本当に千差万別ですからね、髪の毛の色や目の色も成長するに従ってバンバン変わりますから、姉弟で見かけが結構違うなんてザラなんで、言われなきゃ分かんなかったですけど。


 

私たち夫婦は、その頃、本格的に体外受精が全部失敗した場合を想定して、養子縁組を検討していたんですね。

 

卵子提供も考えたんですけど、ヨーロッパだと東洋人のドナーは本当に見つけるのが難しいらしいし、だったら、別にいいかな、と思って。

 

なので、思わずちょっとだけですけど、不妊治療をしていること、体外受精をしたけど不成功で、もう一回やっても全然望みがなさそうだったら、養子縁組も考えていることをジェーンさんに話したんです。


見ず知らずの人だから、逆に言いやすかったんだろうと思います。


あと、とにかくジェーンさんは、朗らかで、開けっ広げで、すごく地に足がついた話し方をする人で、話しやすかったのも大きいです。


養子縁組について、特にすでに自分の実子がいる場合について、色々彼女の経験をシェアしてくれましたし。

 

ただ、私もなるべく明るく話そうとしたんですが、ピリピリ張り詰めた感じが伝わったんですよね。

 

ジェーンさん、突然、私の顔をじっと見てこう言ったんです。

 


 

人はね、ただ赤ちゃんを産んだからって、母親になるわけじゃないわ。

 


分かるでしょう?

 

毎日毎日、その子供のために心を砕いて世話をして、熱を出したら真夜中でも付き添ったり、魔の二歳児だの風疹だの学校選びだの色んなことを乗り越えながら、一緒に泣いたり笑ったりを日々重ねて、母親になるのよ。

 

あなたは、もしかして次の体外受精がうまくいくかもしれないし、もしかしたら養子縁組をするかもしれない。

 

そんなことは問題じゃないのよ。

 


大丈夫、それがどんな形ででも、きっとあなたの子供に出会えるわ。

 

すごい、いいお母さんになるわよ、あなた。息子君を見てたら、分かるわよ。

 


そう言って、赤ちゃんを抱っこさせてくれたんですけど。

 

今までママ友に赤ちゃんが生まれるたびに、複雑な気持ちを隠して

 

きゃー抱かせて!

 

とか、無意味にはしゃいで抱っこしていた私ですが、


その時は腕の中の赤ちゃんの温かな身体を無言でぎゅっと抱きしめて、ミルクの匂いのするふわふわの猫っ毛に鼻を埋めることしかできませんでした。

 

 

 

必死で涙を堪えていたからです。



その時、ふっと身体の力が抜けるのが分かりました。

 

そうか、どんな形でもいいじゃないか。

どんな形でも、きっと私の子供がやって来る。

それできっとその子を愛せるだろう。

 

って、ごくごく自然に思えたからなんです。

 

 

 

ちなみに、その3ヶ月後、私は2回目の採卵、体外受精をし、その時にできた胚盤胞を一個ずつ移植した2回目の移植で無事、妊娠することができました。

 

なので養子縁組には、至らなかったのですが。

本当に忘れられない出会いでした。


もちろん、最終的には自分の娘を妊娠出産したから、こんな綺麗事言ってるのかもしれません。


実際に養子縁組をしたならば、それはそれで色々なチャレンジに直面することはあったと思います。

 

養子縁組の説明会に行くと散々聞かされるのですが、そもそも皆がジェーンさんのように赤ちゃんを養子にできるわけじゃないですし、色々と複雑な環境で生まれたり、育ったりしているわけですから、学習や日常生活においてもサポートが必要な子が多いので、かなりのコミットメントが必要にはなるかと思います。

 

それでも、あの時、あのタイミングで本当にごく自然に、心の底から



そうか、親子になるって、たった一つの形だけじゃない。

色んな形があって、でもどんな形でも、愛情があれば、紛れもない親子なんだ。



って思わせてくれる人に出会ったのは、大きかったです。




ちなみに、その後は妊娠、ひどいつわり、出産、ロックダウンで、ジェーンさんどころか、新居に引っ越した友達でさえ、もう2年くらい会えていません。


でも、あの日のこと、私に抱っこされながら、必死にジェーンさんの方に手を差し述べてた坊やのことを、今でも折に触れて思い出します。




って、エッライ長くなってしまった。(最後まで読んでくれてる方いますか? 笑)


まあ、そんなこんなでございますよ。


人生、いろいろですよね。


 

 

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