教科書などでは、平将門の乱は武士が歴史に登場するきっかけとなった象徴的な出来事として解説されていますが、神霊的な観点から見ると、それとはまた別の意義が見えてきます。
武蔵の国を開いた大國魂神社のご祭神が出雲の大国主神と同神であることからも分かるように、古代の武蔵国を治めていたのはオオクニヌシでした。
ところが、天孫降臨によってアマテラスに国土が譲られることになります。
古事記には穏やかに国譲りがなされたように記されていますが、実際は天孫族と出雲族の間で激しい戦闘があったようで、ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる氏は古代霊の導きにより夢の中で見せられたその情景を、『水木しげるの古代出雲』の中に描いています。
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水木しげるの古代出雲 (角川文庫)
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神田明神が一の宮と二の宮に大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)と少彦名命(すくなひこのみこと)という出雲神話の神様をお祀りしているところから推測すると、三の宮の将門公も当然出雲族であり、将門の乱というのは出雲族が天孫族に挑んだ最後の戦いだったのではないでしょうか?
将門公が目指していたのは日本の東半分を領有することであり、それは国譲りで天孫族に譲った国土の半分を出雲族が取り返すことでした。
ところが、神話を書き換えることが出来ずに将門公は討たれてしまいます。
そして、それ以後出雲族が天孫族に戦いを挑むことはなくなったのです。
太古、オオクニヌシは武蔵の国の人々に衣食住の道を教え、また医療法やまじないの術も授けたといいます。
オオクニヌシや将門公をお祀りする神田明神が江戸の人たちから絶大な人気を有しているのは、昔のオオクニヌシの恩を無意識の内に感じ取っているのかもしれませんし、将門塚が今も東京の中心に存在しているのは、この武蔵の国を開拓したのがオオクニヌシだったということを、私たちに忘れさせないためなのかもしれません。
