柳田國男に『木思石語』という作品があり、その中に奄美大島のアモレオナグ(天降女人)という、男性を誘惑し、ひどい目にあわせるという天女についての記述があります。
「若い男たちが淋しい山路などで出逢って、騙され誘惑されたというアモレオナグには、だいたいに思い当るような共通の型があるのだそうである。
むろん目の醒めるような美しい女で、それが白い風呂敷の包みを背に負い、着物の左褄を手に取りまたは帯に挟み、下裳をちらつかせた艶かしい姿で、多くは村と村の堺の長根の辻などでたった一人行き逢う。
あるいは谷間に下り清水のある処に近よると、そこにヌブ(柄杓)を手にもって水を汲み上げている女がいて、それが裸形の水を浴びる姿であり、または髪を洗うところであったりする。
この二つは大島の人たちに、深い説明がなくてもおおよそわかる人体で、一つは近い世まで島中をあるいていた遊女の姿、他の一つは巫女の始めて成道するときの行事であったという」(柳田國男全集7 ちくま文庫)
柳田國男はアモレオナグを実在する人物としてとらえていたようです。
「若い男たちが淋しい山路などで出逢って、騙され誘惑されたというアモレオナグには、だいたいに思い当るような共通の型があるのだそうである。
むろん目の醒めるような美しい女で、それが白い風呂敷の包みを背に負い、着物の左褄を手に取りまたは帯に挟み、下裳をちらつかせた艶かしい姿で、多くは村と村の堺の長根の辻などでたった一人行き逢う。
あるいは谷間に下り清水のある処に近よると、そこにヌブ(柄杓)を手にもって水を汲み上げている女がいて、それが裸形の水を浴びる姿であり、または髪を洗うところであったりする。
この二つは大島の人たちに、深い説明がなくてもおおよそわかる人体で、一つは近い世まで島中をあるいていた遊女の姿、他の一つは巫女の始めて成道するときの行事であったという」(柳田國男全集7 ちくま文庫)
柳田國男はアモレオナグを実在する人物としてとらえていたようです。