やがて鎌倉時代になると多くの宗教家が筑波山周辺にやってきます

越後に配流となっていた親鸞は筑波山の北麓に移り住み、約20年間東国での布教に励みました。

また奈良西大寺の僧、忍性は筑波の三村寺を拠点として布教活動を行い、時宗の一遍も常陸国で遊行しました。

これらの宗教家の多くは東国布教のために鎌倉に入ろうとしましたが、鎌倉は武家の首都として整備されつつありそのままでは容易に入ることが難しかったため、人々をよく受け入れてくれていた筑波山を根拠地に据え、そこから鎌倉を目指したのです