富士講が江戸時代に爆発的な興隆を見せた背景には、植木職人で
富士講の先達でもあった高田藤四郎が、女性や病人などの旅が困難な人も登れるようにと築いた“富士塚”の影響が大きいです。
安永8年(1779)に最初の富士塚ができるとこれが大ブームとなり、大小さまざまな塚が江戸市中のあちらこちらに作られました。
これらのミニチュア富士山は江戸名所となり、縁日には信者以外の
町人も登拝し、大いに賑わいました。
富士講の先達でもあった高田藤四郎が、女性や病人などの旅が困難な人も登れるようにと築いた“富士塚”の影響が大きいです。
安永8年(1779)に最初の富士塚ができるとこれが大ブームとなり、大小さまざまな塚が江戸市中のあちらこちらに作られました。
これらのミニチュア富士山は江戸名所となり、縁日には信者以外の
町人も登拝し、大いに賑わいました。
文化9年(1812)に目黒の富士講員が築いた
高さ12メートルの富士塚。
山上からの眺望が開けていて素晴らしく、
遥か彼方まで見通せました。
文政2年(1819)に蝦夷地探検家の近藤重蔵が
別邸内に築いた高さ15メートルの富士塚。
山上の人物が富士山を遥拝しています。

