一方、富士山はご神体であり長い間禁足地だったので、離れた場所
から拝む“遥拝”の対象でした。
やがて、室町時代には神仏が宿る山頂に辿り着くことで死後極楽往生を遂げることができるとされ、庶民の間でも信仰登山が盛んになっていきました。
江戸時代になると、江戸から行くにしても費用と時間がかかるため
「富士講」が組織され、お金を集め皆の祈願を託された数人の代表が参詣する代参という形がとられました。
江戸の庶民の多くは遠くに見える富士山の景観を好み、現在も関東
各地に「富士見」の町名や坂の名前が残っています。
から拝む“遥拝”の対象でした。
やがて、室町時代には神仏が宿る山頂に辿り着くことで死後極楽往生を遂げることができるとされ、庶民の間でも信仰登山が盛んになっていきました。
江戸時代になると、江戸から行くにしても費用と時間がかかるため
「富士講」が組織され、お金を集め皆の祈願を託された数人の代表が参詣する代参という形がとられました。
江戸の庶民の多くは遠くに見える富士山の景観を好み、現在も関東
各地に「富士見」の町名や坂の名前が残っています。
日暮里富士見坂
現在は建物にさえぎられ富士山は見えませんが、
かつての眺望の良さが偲ばれる趣のある坂です。
現在は建物にさえぎられ富士山は見えませんが、
かつての眺望の良さが偲ばれる趣のある坂です。
