また、“歌垣”における恋愛相手との交歓は、日常の生活で蓄積された「気枯れ(ケガレ)」を祓い、生命力を回復させる目的があったものと思われます。
しかしながら、パートナーを見つけるのも大変だったらしく、次のような歌も詠われました。
「男体山に雲が立ち上って時雨が降り、濡れ通ってもどうして私は帰ることができようか」 (高橋虫麻呂 『万葉集』)
「筑波山の歌垣で逢おうと言った女は、いったいだれの言うことを聞き入れたのであろうか。私には逢ってくれないものだ」
「筑波山での歌垣に、相手となる人もないままに一人で寝なければならないこの夜は、一刻も早く明けてほしいものだ」
(『常陸国風土記』 秋本吉徳 講談社学術文庫)
筑波山には巨石が多いですが、“夫女ヶ石(ぶじょがいし)”という石があり、この周辺で歌垣が行われたと伝承されています。
しかしながら、パートナーを見つけるのも大変だったらしく、次のような歌も詠われました。
「男体山に雲が立ち上って時雨が降り、濡れ通ってもどうして私は帰ることができようか」 (高橋虫麻呂 『万葉集』)
「筑波山の歌垣で逢おうと言った女は、いったいだれの言うことを聞き入れたのであろうか。私には逢ってくれないものだ」
「筑波山での歌垣に、相手となる人もないままに一人で寝なければならないこの夜は、一刻も早く明けてほしいものだ」
(『常陸国風土記』 秋本吉徳 講談社学術文庫)
筑波山には巨石が多いですが、“夫女ヶ石(ぶじょがいし)”という石があり、この周辺で歌垣が行われたと伝承されています。