一方、筑波山の方は登山できる山として親しまれていたようで、石岡にあった常陸の国府の役人だったと思われる丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)は次のような歌を詠んでいます。
「鶏が鳴く東の国に高い山はたくさんあるけれども、男神と女神の貴い山が並び立つさまをいつも見ていたい山だと、神代の昔から人びとが言い伝え、国見が行われてきた筑波の山よ。この山を、今は冬で時期ではないからと見ないで行ってしまったなら、これまで以上に恋しさがつのるであろうと、雪解けの山道を苦労しながら私は登ってきたのだ。」
この歌に出てくる“国見”とは、「国土の繁栄と五穀の豊穣を予祝する儀礼」のことを言い、筑波山はそういう祈願が行われた場所だったようです。
「鶏が鳴く東の国に高い山はたくさんあるけれども、男神と女神の貴い山が並び立つさまをいつも見ていたい山だと、神代の昔から人びとが言い伝え、国見が行われてきた筑波の山よ。この山を、今は冬で時期ではないからと見ないで行ってしまったなら、これまで以上に恋しさがつのるであろうと、雪解けの山道を苦労しながら私は登ってきたのだ。」
この歌に出てくる“国見”とは、「国土の繁栄と五穀の豊穣を予祝する儀礼」のことを言い、筑波山はそういう祈願が行われた場所だったようです。