『常陸国風土記』と同じ奈良時代に編纂された『万葉集』には、富士山11首、筑波山25首の歌が詠まれています。

富士山の歌には次のようなものがあります。

「天と地が分かれた時から神々しく高く貴い駿河の国の富士の高い
頂きを大空遠く見晴らすと、空を渡る日も隠れ、照る月の光も見えず、白雲も進むことができず、いつでも雪は降っている。語り伝え言い継いでいこう、この富士の高嶺のことを」 (宮廷歌人 山部赤人

ここで富士山は、「高くて貴い山の頂き」が「神々しい」と詠われています。

また常陸国司、藤原宇合の部下であった高橋虫麻呂

「甲斐と駿河の二つの国の真ん中にそびえ立っている富士の高嶺は、天雲も進むことができず、飛ぶ鳥も飛び上れず、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消し、言いようもなく名づけることもできない、霊妙であられる神である。石花の海と名付けている湖も、その山が包み囲んでいる湖だ。富士川といって人の渡る川も、その山からほとばしる激流だ。この山こそは日の本の大和の国の鎮めとしてまします神なのである。国の宝となっている山なのである。駿河の富士の高嶺は、いつまで見ても見飽きることがない。

富士山の神を、「言うことも名づけることもできない霊妙であられる神」「大和の国の災いや戦乱をしずめ、国の平安をまもる神」として褒めたたえています。

当時活火山だった富士山を眺め、その素晴らしい山容を詠い、国を
守護する神として意識していたようです。