和銅6年(716)に編纂され、養老5年(721)に成立した『常陸国風土記』には富士山と筑波山について次のような神話が記されています。


むかし祖神尊(みおやのみこと)が諸国の神々を巡行され、駿河の国の福慈岳(ふじのやま・富士山)に着いたときに日が暮れてしまいました。

そこで、福慈の神(ふじのかみ)に泊めてほしいとお願いしたところ
「いま新穀の収穫祭で家中のものが物忌をしております。今日のところは申し訳ございませんがお泊めすることができません」と言われてしまいました。

祖神尊(みおやのみこと)は恨み泣いて大声で
「私はおまえの親なのだぞ。どうして泊めようとは思わないのか。それならおまえの住む山は、生涯の限り、冬も夏も雪や霜が降り、寒さと冷さが重なって人は登らず、酒や食べ物を供えるものもないだろう」とおっしゃいました。

その後今度は筑波の岳(つくばのやま・筑波山)にお登りになり、また泊めてほしいとお願いしました。

この時、筑波の神が答えて言うには
「今夜は新嘗(にいなめ)の祭りをしておりますが、あなた様のお言葉を受けないことはいたしません」と申し上げ、飲食を設けて恭しくお仕えしました。

祖神尊(みおやのかみ)は喜んで歌われました。

「いとしい我が子よ、その宮はきっとりっぱであろう。天地日月とともに永久に変わることなく、人々は山に集まりことほいで、飲食物も豊かで、後の世まで絶えることなく日増しに栄え、千年も万年も楽しみは尽きないであろう」と

これをもって、福慈の岳(ふじのやま)はいつも雪が降って登ることができず、一方筑波の岳(つくばのやま)は、人々が往き集い、歌ったり踊ったり、飲んだり食べたりして、今に至るまでそれが絶えないのであります。