本来、鉱山の神様であるご祭神がいつ頃から性神としての性格を持つようになったのかというと、東海道の宿場町として栄えた川崎宿の飯盛り女達がはじめた商売繁盛と梅毒除けの「地べた祭り」が影響しているようです。

これは、桜が咲き始めるころ、竹の子をはじめ新芽を料理したお弁当、ござを持ち、神社に花見をかねて集まり、火を焚きござを敷き地べたにすわり、奉納物の
男根を持ち出して卑猥な仕草をして笑い騒ぎ、歌舞飲食をして一夜を過ごしたと
伝えられています。

春、草木の芽吹き蘇るのを見て、自分達の体の蘇りを祈り、春の大地の力を体に取り入れるために大地に座り、竹の子、芽吹きの草木を食べ、さらに男根を持ち、笑い騒ぐことにより魔除けと豊饒を祈ったといわれています。


その後、昭和40年代くらいから性信仰が残る神社としてにわかに外国の民俗学者達から注目されるようになり、「地べた祭り」が発展した「かなまら祭り」をフランス・アメリカ・カナダ・台湾・イギリスなどの海外メディアが次々と紹介するようになり、海外での知名度が一気に上がりました。

昭和60年代頃からエイズ除けを祭に結びつけたのが話題となり、さらに多くの
観光客が訪れるようになったようです。

平成10年には男性同士のカップルが神前結婚式を挙げたりして、現在でも様々な活動がマスコミで報道されています