現在、川崎市多摩区から幸区まで流れる二ヶ領用水(川崎領と稲毛領の「二」つの「領」にまたがって流れたことに由来する)は、慶長2年(1597)から14年の歳月をかけて完成した人工用水路で、完成当時は今の川崎市域のほぼ全域に枝分かれして流れ、川崎大師の池にも入っていました。

旧東海道から大師道に入る川崎区旭町から川崎大師にいたる二ヶ領用水には
九ケ所の橋が架けられていて、その遺構が若宮八幡宮に残っています。

これらの橋は仏教の九品思想によるもので、苦界<九橋>を抜けて極楽浄土
<川崎大師>に至るという考えを象徴しているそうです。

橋や泉など幾つかのポイントをクリアして最終目的地である神社や寺院に至ると
いうプロセスは結構見受けられるもので、到達点のみならずそこに至るプロセス昔の人はゲーム感覚で楽しんでいたのかもしれません。

現代における高速道路のサービスエリアを楽しんでから目的地に向かうのと共通しているようで、面白く感じます。