予想通りとも言うべきか、この二軒のお団子屋さんはライバル同士だったようです。

そのことは中田屋さんのショーウィンドーに貼ってあった「江戸名所図会」の拡大
コピーによって証明されました。





見覚えのある西新井大師堂の挿絵だったので興味深く眺めていると、右上に別紙が貼られているのに気がつきました。

解説かな?と思い読んでみると


天保3年(1832年)「江戸名所図会」より
西新井大師様周辺の最古の地図といわれています。
ここには、当店(茶屋)のみが描かれています。
門前町の形成は、これ以降の時代になります。
元禄時代(1688~1703年)は、一面の田畑でした。


ここにある「当店」が中田屋さんのことで天保の頃から営業していたようすが描かれていますが、とするとまだ描かれていない清水屋さんはいつ頃から営業していたのでしょうか?

清水屋さんのホームページを確認してみて、最後の1行の言わんとしている意味がわかりました。