そして、この二つの寺社の創建に大きく関わっているのが、ナント伝説的な陰陽師 安倍晴明だというのです。
二つの寺社の由緒書には次のように書かれています。
まず、南蔵院の縁起には
「寺伝によると、長保年間(999-1004)に五行にかたどった五角の地に熊野権現を勧請して五方山と名づけたという」とあります。
ここには安倍晴明の名前は見当たりませんが、一方の熊野神社の由緒書には
「社伝によると、創祀は平安時代中期の長保年間に陰陽師 安倍晴明の勧請に
よると伝えられています」とはっきりと名前が挙げられていて
さらに神社の案内板には
「当神社は今から千年前の一条天皇の長保年間に陰陽師安倍晴明によって勧請された都内唯一の神社です。
安倍晴明は紀州熊野三社において花山上皇に従い三年間の山籠りを終えて、
その後清浄なる聖地を求めて熊野の大神勧請の旅中、偶々当地を聖地と選び、
陰陽道の五行説即ち木火土金水に境内を三十間五角に象り、神代の石剣を以ってご神体として熊野三社の大神を勧請されました」
と詳しい解説が載っています。
二つの寺社の由緒書には次のように書かれています。
まず、南蔵院の縁起には
「寺伝によると、長保年間(999-1004)に五行にかたどった五角の地に熊野権現を勧請して五方山と名づけたという」とあります。
ここには安倍晴明の名前は見当たりませんが、一方の熊野神社の由緒書には
「社伝によると、創祀は平安時代中期の長保年間に陰陽師 安倍晴明の勧請に
よると伝えられています」とはっきりと名前が挙げられていて
さらに神社の案内板には
「当神社は今から千年前の一条天皇の長保年間に陰陽師安倍晴明によって勧請された都内唯一の神社です。
安倍晴明は紀州熊野三社において花山上皇に従い三年間の山籠りを終えて、
その後清浄なる聖地を求めて熊野の大神勧請の旅中、偶々当地を聖地と選び、
陰陽道の五行説即ち木火土金水に境内を三十間五角に象り、神代の石剣を以ってご神体として熊野三社の大神を勧請されました」
と詳しい解説が載っています。
