寛永寺について書かれている記述をみると、しばしば

“山号は東の比叡山の意味で東叡山とされ、寺号は創建時の元号をとって寛永寺とされた” とあります。

これから判断すると、「東叡山」の山号を初めて使用したのが寛永寺のように思われますが、よく調べてみると、寛永寺以前に「東叡山」の山号がつけられた寺院があったことが分かりました。

それは、天海僧正が住職を務めていた、“川越の喜多院”です。


「東叡山」という山号がつけられた過程を調べることで、徳川幕府や天海僧正の
寛永寺建立の目的を探ってみようと思います。