東叡山寛永寺の歴史は元和8年(1622)、徳川二代将軍秀忠が天海僧正に上野の地を寄進したことから始まります。
徳川家の安泰と江戸庶民の平安を祈る道場(祈願寺)として創建が決められ、
本坊は3年後の三代将軍家光の寛永2年(1625)に竣工しました。
その後の造営も比叡山延暦寺にならって行われ、不忍池弁天堂、清水観音堂が次々と建てられ、根本中堂は元禄11年(1698)に完成しています。
また、一説には秀忠と家光が、高齢の天海僧正が住職をしていた川越喜多院と
江戸の間を頻繁に往復しなければならないことを心配し、彼の居住の本坊として
建立したものといわれています。
江戸時代の根本中堂跡
(現在工事中の噴水公園)
(現在工事中の噴水公園)
