日枝神社は江戸時代には「日吉山王大権現」(ひよしさんのうだいごんげん)と呼ばれていた。
神社の由緒によれば 鎌倉初期に秩父重継が江戸貫主を名乗り、その館に日吉大社の神様を勧請したのを始原としているが、『江戸名所図会』には、平安時代の天長7年(830)、慈覚大師円仁が川越の星野山無量寿寺(現在の喜多院)を創建したときに、そこに祀ったのが始まりとなっている。
一般的には後者の方が流布していて、のちに文明年中(1469~87)に太田道灌が川越から江戸城内の鎮守として、この山王権現を勧請したという。
それを家康がそのまま江戸城鎮護の神(地主神)として城内に奉祀し、家光が三代将軍になると、将軍の産土神としての役割を与えらるようになった。
