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マッシュルームカットによる考察

新進気鋭(??)のサラリーマンがニュースや日常生活について思った稚拙な考察を皆さんに投げかけています。

二日に一度程度の怠慢更新ですが、お付き合い頂いている方々こんばんは。マッシュルームカットです。

本日は日本の死刑制度の是非について考察したいと思います。

死刑制度擁護派の意見を挙げますと、まず犯罪への抑止力があり、日本の刑法では報復としての罰という考えはないのですが、被害者家族の怒りの軽減も挙げられるでしょう。変わったところでいうと、中国では、今はわかりませんが過去には死刑囚の臓器を移植に使っていましたし、倫理的な問題はおいといて死刑囚を人体実験に利用するという考えもあるようです。また、現場処刑といって正義感が強い警察官が正当防衛にかこつけて、死刑がなければ犯人を銃殺するという議論もあります(アメリカ等で実際に起きています)。

逆に死刑反対論者の意見は、例えば冤罪で無実の罪で殺してしまう可能性があることや例え犯罪者であっても国家による殺人を行うことへの倫理的反感があります。また、抑止力に対する変わった反論としては坂本教授という方が殺人の正当化という議論を出しています。つまり、国家による殺人が許されるなら自分の殺人も許されるという思考で殺人が行われているということらしく、死刑のニュースが流れると殺人事件が有意に増えているという統計が論拠になっています。

結論をいうと、死刑の是非というのは、明らかに倫理観の問題によるところが大きく、一概に是非を論じることが出来ないというのが私の客観的な考えです。

しかし、各論でいうと死刑執行人の苦難というのが死刑の弊害か否かという議論が興味深いのでご紹介します。

死刑執行人とは、死刑を実行する人であり、その精神的なストレスは想像を絶するものです。複数の死刑執行人がそれぞれ別のボタンを押し、ランダムで選ばれたボタンが死刑執行に連動するというシステムにより執行人のストレスの軽減が図られているようですが、それでもそのストレスから精神病にかかったり、自殺したりする人がいるほどと言われています。

このことは死刑制度の弊害として論じられるとこがありますが、死刑擁護派からは死刑執行人は自分で職を選んでるのだから自業自得であるという反論がありますが皆様はいかがお考えでしょうか。

私はこの意見には強く反対をしています。なぜなら論理が単純でひやくしすぎているからです。

まず、死刑執行人が自分で職を選んだかというそもそもの点で疑問を感じます。死刑執行というのは年に数件であり、死刑執行人という専門の仕事があるわけではありません。実は、刑務官で採用されたもののうち、死刑囚がいる刑務所に配属されたもののうち、数人が当日に上司から呼び出されて死刑執行を命じられているのです。死刑執行の拒否はほぼ退職を意味しており、拒否出来ないのが現状とのことです。そんな状況での死刑執行が本当に彼らが自ら選んだ選択肢だと言えるのでしょうか。

刑務官になる時点で死刑執行の可能性があることはわかっていたはずという人もいますが、幾つもある刑務所にいるたくさんいる刑務官のうち死刑執行をやる人など限られています。刑務官の主な仕事は刑務所の管理及び秩序の維持であり、死刑執行を強く意識して皆が入っているかは甚だ疑問です。

また、なかには死刑執行には特別手当があるから金で解決されているなんていう人もいますが、もらえる金額は昔は3000円、今でも2万円と精神的ストレスに釣り合っているとは言い難いです。

死刑執行人の存在は国家の制度による要請です。国家の制度により、国家の名の下で殺人者になってしまうものが確実に存在するということを意味します。

死刑制度の議論をする際には、冤罪や抑止力といった犯罪者や被疑者、被害者側の議論が多いですが、死刑を執行する側の観点も含めて考えるようにすればより大局観に立った考え方ができるようになるかもしれませんね。



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