社会人だけど、なんとなくひとり海外・・

社会人だけど、なんとなくひとり海外・・

昔は、元バックパッカー。今は時間が許されれば海外へ足を運ぶトラベラー。まだ日本の方々が少ない国々に、ツアーを使わず、オリジナルで、ゆる~く旅しています。

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このブログを見て頂いている皆様、如何お過ごしですか?。

 
 
地方部の医療機関で働きながら、たま〜にゆる〜く海外を旅をしている、社会福祉士で元バックパッカーのちゃおです。
 
 
 
 
 
前回のブログ記事から、1年近くが経ってしまいました。
 
 
 
 
その間、多くの方々が私のブログに「いいね」を押して頂き、本当にありがとうございますm(__)m。
 
 
 
 
本当は、色々なことを載せてブログを更新したかったのですが、日々の忙しさに忙殺されてしまい、筆が進まず。
 
 
 
 
更に、この新型コロナウイルスの感染拡大により、思うように出歩くことが出来ない事態となってしまい、悶々とした毎日を過ごしております。
 
 
 
 
実は、3月上旬にドイツのベルリンへ行く計画を立てていました。
 
 
 
しかし、チケットを手配しようとした2月中旬、クルーズ船での集団感染が世界中のニュースに駆け巡り、日本の対応に不安感が増す報道を多く目にするように。
 
 
こうしたことから、この時期に欧州地域に行ったら現地の人達が嫌がられるな〜と思うようになり、渡航を取りやめました。
 
 
 
たが、その後の欧州各国の感染拡大はご存知の通り(*_*)。
 
 
 
今になってみると、意地になって無理に渡航しなくてよかった〜と感じております。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、私が住む地方部にも感染者が出ており、毎日が緊迫しております。
 
 
 
私自身の職場が医療機関であるため、発熱で来院される方も多いです。
 
もしもの事態になったら・・という不安感が募る状況であります。
 
 
 
そのために、感染者が出ないよう様々な対策を講じており、多少過剰だな〜と思われる位の規制も掛かったりしております。
 
 
 
ただ、その過剰に心配する行為が、実は客観的に見ると、「人権差別」に繋がるような行動、言動も見られております。
 
 
 
例えば、勤務してるスタッフの家族に、都市部から戻って来た同居者がいたら、(感染地域からの接触)という理由で出勤停止にしたり(発熱してなくても)。
 
 
 
また、感染者が出た介護施設に勤めている入院患者さん家族が、退院の際にお迎えのため病院に来ようとしたところ、来ることを拒んだり(もちろん、その方は陰性です)。
 
 
 
これって、差別じゃないの?
 
 
と、思わず感じてしまいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
今まで何度となく海外へ行き、何を経験し、何を得てきたか。
 
 
私自身が社会福祉士として大切にしている心情とは何なのか?。
 
 
 
それは、今の業務において、当事者を疎外するような「差別」となってはあらない。と常に意識しているからです。
 
 
 
 
 
今までのブログに載せてたように、私の海外で見てきた場所多くは、差別や偏見が助長され、分断が生じた現場であります。
 
 
 
2015年は、(15年前にも行ったのですが)、内戦があった旧ユーゴスラビア諸国へ。
 
ボスニアでは、8000人近くが虐殺された、スレプレニツァという街へ行き、恐ろしい数の墓碑を目にしてきました。

 
 
同じくボスニアでは、今や観光地となったモスタルという街で素敵な景色を見てきました。
 
 
 
しかし、多くの銃撃戦が展開された街でもあり、一歩裏路地を入れば、多くの壊れた建物を目にしました。
 
また。2年前の2018年の4月には、独立して歴史が短いコソボ共和国へ。
 
表面上は、風光明媚な景色が見れる素敵な国でした。
 
 
しかし、民族対立から建国された国だっただけに、今も多くの場所で、家主を失った(対立する民族から壊された)建物が、まだ当たり前のようにありました。
 
 
今もガイドブックを読み直しながら、あの場所に足を運び、直接見て、気付いたアイデンティティを思い出すようにしています。
 
 
 
 
更に、2018年の12月には、アウシュビッツ強制収容所へ。
 
2000年の11月に1度訪れましたが、もう1度見る必要性を感じ、再度行きました。
 
 
 
ここで、多くのユダヤ人達が、彼らにとって理不尽とも言える理由で命を奪われました。

 
 
 
 
こうした場所に何度となく足を運んだからこそ、時に行き過ぎた(過剰とも言える規制や言動などに)風潮に違和感を強く抱いてしまいます。
 
 
 
 
 
 
そして、私自身が海外で学んだ視点と今の業務としての在り方を強く意識した出来事があります。
 
 
 
今年の3月7日、所用で東京に行った際、東中野にある(ポレポレ東中野)という映画館で、あるドキュメンタリー映画を観てきました。
 
 
JR東中野駅から徒歩1分。
小さな看板ですが、派手な建物なので線路沿いに歩いてたら、すぐにわかりました。

 
この日、この映画館で、元NHKキャスターで、現在はジャーナリストとしてご活躍されている堀潤さんが制作したドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」の公開初日でした。
 
そして私も劇場へと足を運びました。
 
国内、海外問わず、対立が起きている地域へ行き、多岐に渡る理由で【分断】が起きている現状を、大きな視点と共に、当事者目線という(小さな視点)からも大切に取り上げ、本質へと迫る内容でした。
 
 
堀さんが各地で取材を訪れた地域から、何を伝えたかったのか。
 
 
分断が深まっている場所を丹念に取材し、「外国」「日本」と切り分けることなく、壊してはいけない普遍的な価値とは何か。を堀さんは問い掛けてます。
 
この時すでに新型ウイルスの感染が少しずつ広まっており、堀さん自身も(このまま公開しても良いのか)迷ったかと思われます。
 
 
それでも、どうしても伝えたい。世の中が分断される、これからもっと差別が助長される危険性があるだけに、社会情勢が大変な中でも上映してくれた意義がある作品でした。
 
 
映画を終え、堀さんから直筆サインして頂きながら、簡単な言葉を交わし、握手して頂きました。
「共に、今ある危機を、発信していきましょう」と。
 
 
 
今の世の中において、出口が見えない事態に陥ったとき、どうしても気持ちの中で、守りに入ってしまうかと思います。
 
 
その守り方が過剰になり、守りが、分断へと導いてしまっている。
 
 
ウイルスに感染してしまった人を非難し、自己責任論を問われ精神的な隔離を行う。
 
 
都市部等から地方部へ移動してきた方に対し、バイ菌を扱うかのような批判をする。
 
 
周りに迷惑を掛けない行動は日本人として素敵な長所ではありますが、この行為が過剰になってしまうと、「差別」へと繋がるのではないでしょうか。
 
 
 
この国は少し、悪い意味で(おおらかさ)を失ってしまっているのではないかと感じてしまいます。
 
 
 
 
だからこそ、声を挙げなければなりません。
 
 
 
 
わたしも、分断を許さない。
 
 
 
客観的に。冷静に。相手側の立場になって考える視野の広さを持とう❗️。
 
 
 
 
中々口にだせませんが、この言葉を己に持ち、このご時世を乗り切ろうと思います。
 
 
 
 
 
 
そして、また、海外へ足を運べますように。
 
 
 
 
 
このブログで、海外の訪問記が書けますように。
 
 
 
 
 
前を向いていきましょう。
 
 

 
 
 
 
 
 
全国各地で上映予定ですが、新型コロナウイルスが未だ猛威を奮っております。上映予定に関しても休館、時間変更になっている場合もあるため、HPなどで確認をお願いします。
また、映画公開と共に発売された書籍もありますので、こちらも是非お勧めです。映画が観れない現状なだけに、ご興味がありましたら読んで頂けれると嬉しいです。
 
 
 
 
 
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 
 
 
 
ちゃお